エルネスト・カブール
エルネスト・カブール・アマラーヨ(Ernesto Cavour Amarayo、1940年4月9日 - 2022年8月7日(死亡日は現地時間))はボリビアのチャランゴ奏者。ラパス出身。 来歴幼い頃からボリビアの民族楽器チャランゴに魅せられ、10代でボリビア最高のチャランゴ奏者として名をとどろかせた。数々のフェスティバルでグランプリを獲得し、一挙に名声を得た後、1968年にフォルクローレを語る時に避けて通ることはできない屈指のメンバーを集めたグループ、「ロス・ハイラス (なまけもの達)」を結成した。メンバーはケーナのヒルベルト・ファブレ、ギターのフリオ・ゴドイ、ヴォーカルのヤヨ・ホフレだった。このグループは南米はもとより、ヨーロッパでも大成功し、アンデスのフォルクローレを世界的に広める立役者となった。 しかしボリビアを永く離れていては、自分の演奏する民族音楽のエキスが失われていくことを感じ始め、グループが人気絶頂の時に脱退、一人ボリビアに帰っていった。 その後、ラパス市にライヴハウス「ペーニャ・ナイラ」を作り、彼が演奏する姿はそこでしか観ることが出来なくなった。 人々は彼を「幻のチャランゴ奏者」とか「伝説のチャランゴ奏者」と呼ぶようになった。また演奏技術の素晴らしさから「驚異のチャランゴ奏者」、「黄金のチャランゴ奏者」とも呼ばれた。 彼はボリビア及びアンデスのフォルクローレ研究にも力を注ぎ、研究者としてもボリビアを代表する一人となった。フォルクローレの楽器の収集家としても知られ、自宅の一部を改造して「楽器博物館」とした。 1980年に初来日した彼の楽団は大好評を博し、日本でもフォルクローレ音楽ファンが増加し、ブームを巻き起こした。欧米からも公演依頼が殺到し、世界各地でボリビアのフォルクローレを広めるために活躍した。 また、彼の経営するライヴハウス「ペーニャ・ナイラ」では、若手の優秀なメンバーを集めて「グルーポ・ナイラ」を結成し、彼もそこでチャランゴを担当した。ここからはサンポーニャのジョニー・ベルナル、フェルナンド・ヒメネス、レイナルド・ベガ、チャランゴのドナット・エスピノーサ、日本の木下尊惇らが巣立っていった。 弟の名はルーチョ・カブール。共に演奏し、ケーナの名手として知られている。エルネストと共にチャランゴを弾くこともあり、兄を凌ぐ才能を持ってると言われることもある。 エルネストは社会的、政治的な歌を歌うこともあり、貧しい庶民の立場に立った歌詞を書く。ボリビアはもとより中南米を代表する作曲家の一人である。 1992年に公開された東陽一監督による映画『橋のない川』ではサウンドトラックを担当している。[1][2] ディスコグラフィーエル・トリオ・ファブレ・ドミンゲス・カブール
ソロ・アルバム
脚注
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