エマニュエル・ドルレアン
エマニュエル・ドルレアン(Emmanuel d'Orléans, 1872年1月18日 - 1931年2月1日)は、フランスの王位請求者オルレアン家の一員。全名はフィリップ・エマニュエル・マクシミリアン・マリー・ウード(Philippe Emmanuel Maximilien Marie Eudes d'Orléans)。ヴァンドーム公(duc de Vendôme)の儀礼称号で呼ばれた。 生涯フランス王ルイ・フィリップの孫のアランソン公フェルディナンと、バイエルン公マックス・ヨーゼフの娘ソフィー=シャルロットの間の長男として生まれた。1896年2月12日、ブリュッセルにおいてフランドル伯フィリップの娘のベルギー王女アンリエットと結婚した。夫妻は又従兄妹同士だった。アンリエットの弟はベルギー王アルベール1世であり、アルベール1世の妻エリザベートはエマニュエルの母方の従妹にあたる。 エマニュエルと妻アンリエット王女はベルギー、フランス、スイスに多くの資産を持ち、贅沢な暮しを送っていたが、第一次世界大戦後は資産を失ったり、売却したりしたため、経済的に落ちぶれた。エマニュエルは1931年に心臓発作により急死し、ドルーのサン・ルイ王室礼拝堂に葬られた。 子女妻のアンリエット王女との間に4人の子女があった。
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