エギュイヨン (ロット=エ=ガロンヌ県)

Aiguillon
行政
フランスの旗 フランス
地域圏 (Région) ヌーヴェル=アキテーヌ地域圏
(département) ロット=エ=ガロンヌ県
(arrondissement) アジャン郡
小郡 (canton) ポール=サント=マリー小郡
INSEEコード 47004
郵便番号 47190
市長任期 ジャン=フランソワ・ソヴォー
2008年-2014年
自治体間連合 (fr) fr:Communauté de communes du Confluent
人口動態
人口 4 344人
2007年
人口密度 154人/km2
地理
座標 北緯44度18分01秒 東経0度20分30秒 / 北緯44.3002777778度 東経0.341666666667度 / 44.3002777778; 0.341666666667座標: 北緯44度18分01秒 東経0度20分30秒 / 北緯44.3002777778度 東経0.341666666667度 / 44.3002777778; 0.341666666667
標高 平均:m
最低:22 m
最高:168 m
面積 28.28km2 (2 828ha)
Aiguillonの位置(フランス内)
Aiguillon
Aiguillon
公式サイト Site officiel de la ville d'Aiguillon
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エギュイヨンAiguillon)は、フランスヌーヴェル=アキテーヌ地域圏ロット=エ=ガロンヌ県コミューン

地理

エギュイヨンは、ギュイエンヌ地方の要塞都市(fr)である。ロット川ガロンヌ川の合流地点にある。

歴史

百年戦争中の1345年から1346年イングランド軍に占領されており、フランス王ジャン2世率いる軍に包囲されていた。

エギュイヨンは正式には男爵領であった。1599年アンリ4世は寵臣のマイエンヌ公アンリにエギュイヨンを公爵領として与えた。彼が1621年に嫡子のないまま死亡したことから、家系は断絶した。エギュイヨン公爵位は甥のマントヴァ公子カルロとフェルディナン兄弟に受け継がれたが、1632年にフェルディナンが没した後は2年間空位となった。

1634年、再興されたエギュイヨン公位はアントニー・ド・ラジュに授けられた。その後1638年リシュリュー枢機卿はラジュから公位を取り上げ、自身の姪マリー=マドレーヌ・ド・ヴィニュロ・デュ・プレシに授け、この家系がフランス革命まで存続した。

交通

人口統計[1]

1962年 1968年 1975年 1982年 1990年 1999年 2006年
3 409 3 754 3 867 4 121 4 169 4 219 4 325

脚注

  1. ^ Aiguillon sur le site de l'Insee