エイブリー・ジョンソン
エイブリー・ジョンソン(Avery Johnson, 1965年3月25日 - )は、アメリカ合衆国・ルイジアナ州ニューオリンズ出身の元プロバスケットボール選手および指導者。選手時代は北米男子プロバスケットボールNBAのサンアントニオ・スパーズなどで活躍し、引退後はダラス・マーベリックス、ニュージャージー・ネッツなどでヘッドコーチを務めた。5フィート11インチの低い身長ながらポイントガードとしてリーダーシップを発揮しチームを率いたため、スパーズ在籍時、チームメイトのデビッド・ロビンソン(提督:Admiral)に対してLittle General(小さな将軍) と呼ばれた[1]。 選手時代1988年、彼はドラフトで指名されなかったが[2]シアトル・スーパーソニックスを皮切りに、デンバー・ナゲッツ、ヒューストン・ロケッツ、サンアントニオ・スパーズ、ゴールデンステート・ウォリアーズ、ダラス・マーベリックスで16年間NBAでプレイした。 彼が最も知られたのはサンアントニオ・スパーズに在籍していた時代(1991年,1992-1993年,1994-2001年)で特に1999年のニューヨーク・ニックスとのNBAファイナル第5戦では試合を決める重要なシュートを決めた。 ヘッドコーチ時代2003-04シーズン終了後、彼はドン・ネルソンの下でマーベリックスのプレイヤーコーチとなった。2年間をネルソン・ヘッドコーチに学んだジョンソンは2004年10月28日に引退して専任コーチとなった。そして2005年3月19日にアシスタントコーチからヘッドコーチへ昇格した。 ジョンソンはチームを引き継いだ後、2004-05シーズンを16勝2敗して、プレイオフ1回戦でヒューストン・ロケッツを破ったが、カンファレンス準決勝でフェニックス・サンズに敗れた。ジョンソンは2005年4月に就任後最初の月に月間最優秀コーチに選ばれたがこれは史上初めてのことだった。 2005-06シーズンはより成功したものになった。ジョンソンは2005年11月に再び月間最優秀コーチとなり(自身2度目のそして4月の受賞に次いで、2ヶ月連続)、NBAのコーチとして初の就任後2ヶ月連続受賞者となった。2006年1月28日にはユタ・ジャズを降して50勝12敗として50勝1番乗りを果たした。2月にはオールスターゲームのウェスタン・カンファレンスのコーチとして選ばれた。3月15日には、82試合を指揮した(フルシーズン指揮した)最初のシーズンでの最多勝記録を更新する60勝をあげた。マーベリックスはウェスタン・カンファレンスで2番目の勝率だったが同地区のスパーズが地区優勝したため、プレイオフ第4シードだった。プレイオフでは、メンフィス・グリズリーズ、前年のNBAチャンピオンのサンアントニオ・スパーズ、フェニックス・サンズを倒して、マーベリックスを初のNBAファイナルへ導いた。しかしチームは2連勝したもののその後4連敗して敗れ去った。4月下旬、初めてフルシーズンを通して指揮を執ったシーズンながら最優秀コーチ賞を獲得した[3]。 2006-07シーズンは67勝の文句なしの成績を収め、チームをカンファレンス第1シードでプレーオフに導いた。プレーオフファーストラウンドで元上司ドン・ネルソン率いるゴールデンステート・ウォリアーズと対戦。師弟対決となったシリーズは、ウォリアーズの速い攻撃スタイルに対応できず、2勝4敗と歴史的なアップセットを喫した。翌2007-08シーズンも51勝の好成績でカンファレンス第4シードでプレーオフに臨んだが、プレーオフファーストラウンドでニューオーリンズ・ホーネッツに敗れ、2年連続ファーストラウンド敗退となった。シーズン後、責任をとる形でヘッドコーチを解任された[4]。2008年から2年間CNNやESPNでNBA解説者を務め、2009-10、2010-11、2011-12の3シーズン、ニュージャージー・ネッツのヘッドコーチを務めた。 人物ヘッドコーチになってから131試合目で100勝をあげ、NBA記録を作った。この記録は2012年、シカゴ・ブルズのトム・ティボデューに更新された[5]。 スパーズの通算アシスト記録を持っていたが、2012年2月6日、トニー・パーカーによって記録が更新された[6]。 NBA個人成績
レギュラーシーズン
プレーオフ
脚注
外部リンク
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