トスカーナ辺境伯ウベルト(Uberto di Toscana, ? - 969年頃)は、イタリア王ウーゴと愛妾ワンデルモーダ(Wandelmoda)の間の庶子。トスカーナ辺境伯(在位:936年 - 969年頃)、スポレート公およびカメリーノ侯(在位:943年 - 946年)[1]。同母弟にピアチェンツァ司教となったボソがいる[1]。
生涯
ウベルトは、叔父ボゾーネがトスカーナ辺境伯位を剥奪された後、父王よりトスカーナ辺境伯位を与えられた。942年には宮中伯となっている。943年、スポレート公サルリオーネがスポレートの戦い(en)において前スポレート公アンスカーリオ2世を殺害したかどで廃位されると、父ウーゴはウベルトにスポレート公位も与えたが、スポレートの戦いはウーゴによって画策された可能性がある[2]。
950年、イヴレーア辺境伯ベレンガーリオがイタリア王となると、ウベルトはスポレート公位を剥奪されたが、トスカーナ辺境伯位はウベルトに残された。ウベルトはイタリア宮廷で最も権力を持つ貴族であり、後にオットー1世がアルプスを越えイタリア王となったときも、ベレンガーリオに忠実に仕えた。最終的にベレンガーリオが敗北した後、ウベルトはオットーと和解し、トスカーナ辺境伯領の支配を再び許された[2]。
子女
ウベルトはスポレート公ボニファーチョ1世とワルドラーダ(ブルグント王ルドルフ1世の娘)の間の娘であるウィラと結婚し[3]、1男3女をもうけた。
脚注
- ^ a b Wickham, 1981, pp. 178, 185.
- ^ a b Previté Orton, 1922, pp. 157–58, 161–62, 165, 171.
- ^ a b Previté Orton, 1917, p. 347.
参考文献
- Previté Orton, C. W. (1917). "Italy and Provence, 900–950". The English Historical Review. 32 (127): 335–47.
- Previté Orton, C. W. (1922). "Italy in the Tenth Century". In Whitney, J. P.; Tanner, J. R.; Gwatkin, H. W.; et al. The Cambridge Medieval History, Volume 3: Germany and the Western Empire. Cambridge: Cambridge University Press. pp. 148–87.
- Wickham, Chris (1981). Early Medieval Italy: Central Power and Local Society, 400–1000. London: Macmillan.
- Wickham, Chris (1988). The Mountains and the City: The Tuscan Appennines in the Early Middle Ages. Oxford: Clarendon Press.