ウィリアム・セシル (第2代ソールズベリー伯)
第2代ソールズベリー伯爵ウィリアム・セシル(英: William Cecil, 2nd Earl of Salisbury, KG, PC、1591年3月28日 - 1668年12月3日)は、イングランドの政治家、貴族。 清教徒革命(イングランド内戦)後の共和政で政界に残留した数少ない貴族の一人である。 経歴1591年3月28日、初代ソールズベリー伯爵ロバート・セシルとその妻エリザベス(第10代コバム男爵ウィリアム・ブルックの娘)の長男として誕生[1][2]。 シェアボーン・スクールを経てケンブリッジ大学セント・ジョンズ・カレッジやオックスフォード大学へ進学し、1605年に両大学からマスター・オブ・アーツの学位を取得[1][2]。 1610年から1611年にかけてウェイマス=メルクーム選挙区から選出されて庶民院議員を務める[1][2]。 1612年5月24日に父の死去により第2代ソールズベリー伯爵位を継承し[1]、貴族院議員に列した。 1643年にはウェストミンスター会議の議員の一人となる[2]。 清教徒革命後のイングランド共和国で貴族院は廃止されたが、彼は1649年から1653年のランプ議会と1656年から1658年の第二議会にかけてキングス・リン選挙区から当選して庶民院議員を務めた。さらに1649年から1651年と1652年から1653年にかけて王権の継承機関国務会議のメンバーとなる[1]。共和国政界で活躍した貴族はソールズベリー伯を含めて3人だけである。その一人は初代エスクリックのハワード男爵エドワード・ハワードであるが、彼はソールズベリー伯の義兄弟にあたり、ソールズベリー伯の動きもそれと関係している可能性がある[3]。 王政復古後の1668年12月3日に死去した[2]。爵位は孫のジェイムズが継承した。 栄典爵位
勲位・名誉職など家族1608年に初代サフォーク伯トマス・ハワードの娘キャサリンと結婚し、彼女との間に7男5女を儲けた。次男クランボーン子爵(儀礼称号)チャールズ・セシル(1619-1660)の長男ジェイムズ・セシル(1648-1683)が爵位を継承する[4]。
脚注注釈出典
参考文献
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