第3代インチクィン伯爵ウィリアム・オブライエン(英語: William O'Brien, 3rd Earl of Inchiquin PC (Ire)、1666年頃 – 1719年12月24日)は、アイルランド王国の貴族。1674年から1692年までオブライエン卿の儀礼称号を使用した。
生涯
第2代インチクィン伯爵ウィリアム・オブライエン(英語版)と1人目の妻マーガレット・ボイル(Margaret Boyle、1683年没、初代オーラリー伯爵ロジャー・ボイルの娘)の息子として、1666年頃に生まれた[1][2]。
1689年に父と同じくジェームズ2世のアイルランド議会により私権剥奪された[2]。1692年1月に父が死去すると、インチクィン伯爵の爵位を継承[1]、1695年8月27日にアイルランド貴族院議員に正式に就任した[2]。また、1693年にキンセール総督(英語版)を務めた[2]。
ウィリアム3世暗殺未遂事件の後、1697年12月2日に国王を守る宣言に署名した[2]。アン女王とジョージ1世の治世ではアイルランド枢密院(英語版)の枢密顧問官を務めたほか、1703年に歩兵連隊の隊長を、1704年から1705年までキルケニー市長(英語版)を務めた[2][3]。
1719年12月24日に死去、27日に埋葬された[2]。長男ウィリアムが爵位を継承した[1]。
家族
最初はマーガレット・オブライエン(Margaret O'Brien、1688年没、ジェームズ・オブライエンの娘)と結婚したが、2人の間に子供はいなかった[1]。1691年4月、メアリー・ヴィリアーズ(Mary Villiers、1753年4月17日没、エドワード・ヴィリアーズ(英語版)の娘)と再婚[1]、下記の子女を儲けた。
脚注
- ^ a b c d e Burke's Peerage, Baronetage and Knightage (英語) (99th ed.). London: Burke's Peerage Limited. 1949. p. 1066.
- ^ a b c d e f g Cokayne, George Edward; Doubleday, Herbert Arthur; Howard de Walden, Thomas, eds. (1929). The Complete Peerage, or a history of the House of lords and all its members from the earliest times, volume VII: Husee to Lincolnshire. Vol. 7 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press. pp. 53–54.
- ^ "The Sovereigns and Mayors of Kilkenny 1282-2010". Kilkenny Borough Council (英語). 2020年3月28日閲覧。
- ^ Cokayne, George Edward; Doubleday, Herbert Arthur; Howard de Walden, Thomas, eds. (1929). The Complete Peerage, or a history of the House of lords and all its members from the earliest times, volume VII: Husee to Lincolnshire. Vol. 7 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press. pp. 244–245.