イエスタデイ (村上春樹)
概要村上は『文藝春秋』2013年12月号から2014年3月号まで、「女のいない男たち」と題する連作の短編小説を続けて掲載した。本作は2014年1月号に発表されたその2作目(同号の発行日は2013年12月10日)。 英訳
オリジナル版と単行本版の本文異同登場人物の木樽(きたる)が歌う、関西弁訳のビートルズの「イエスタデイ」の歌詞は、単行本収録に際して大幅に削られた。「歌詞の改作に関して著作権代理人から『示唆的要望』を受けた」ためと、村上は『女のいない男たち』のまえがきで説明している[3]。歌詞の削除に伴って、大きく加筆訂正がなされた。
あらすじ「僕」の知っている限り、ビートルズの『イエスタデイ』に関西弁の歌詞をつけた人間は、木樽という男一人しかない。彼は風呂に入るとよくその歌を歌った。木樽は生まれも育ちも東京都大田区田園調布だったが、ほぼ完璧な関西弁をしゃべった。子供の頃から阪神タイガースのファンだった彼は、「血の滲むような努力をして」関西弁を身につけたという。 そのとき「僕」は早稲田大学文学部の2年生で、木樽とは早稲田の正門近くの喫茶店の同じアルバイト仲間だった。木樽は浪人2年目だった。彼には小学校のときからつきあっている女の子がいたが、彼女の方は先に現役で上智大学の仏文科に入学した。 日曜日の午後、「僕」は木樽と彼のガールフレンドの栗谷えりかと三人で会った。えりかが木樽が関西弁しか話さないことを話題にすると、木樽は「僕」を指さし、「こいつかてけったいなやつやぞ。芦屋の出身のくせに東京弁しかしゃべらんしな」と言った。「それってわりに普通じゃないかしら」「おいおい、それは文化差別や。文化ゆうのは等価なもんやないか」「それは等価かもしれないけど、明治維新以来、東京の言葉がいちおう日本語表現の基準になっているの。その証拠に、たとえばサリンジャーの『フラニーとズーイ』の関西語訳[注 1][注 2]なんて出てないでしょう?」という会話がそれに続いた。 木樽はえりかと「僕」に、二人が個人的につきうあうことをすすめ、その週の土曜日に二人は渋谷で落ち合った。ニューヨークを舞台にしたウディー・アレンの映画を見た。それから2週間ほどして木樽はひとことの連絡もせず喫茶店を辞めた。 16年後、「僕」は赤坂のホテルで開かれたワイン・テイスティング・パーティーの会場で栗谷えりかと再会する。フォーマルな服に身を包んだ人々があちこちでグラスを傾け、若い女性ピアニストは『ライク・サムワン・イン・ラブ』[注 3]を弾いていた。 脚注注釈
出典
|