アート・アンサンブル・オブ・シカゴ
アート・アンサンブル・オブ・シカゴ(Art Ensemble Of Chicago)は、アメリカ合衆国シカゴ出身のフリー・ジャズ・バンド。「多楽器主義」を掲げ、ステージ上に膨大な数の楽器を並べて、それらすべてを演奏することで知られる[1]。 来歴シカゴのアフリカ系アメリカ人音楽家による自助組織「AACM」(Association for the Advancement of Creative Musicians、1965年発足)[1]のメンバーにより、前身バンドであるロスコー・ミッチェル・セクステットが1966年に結成され、1968年にレコード・デビュー。その後、メンバー・チェンジを経てロスコー・ミッチェル・アート・アンサンブルとして活動し、1969年から1971年にかけてパリを拠点に活動。この頃にアート・アンサンブル・オブ・シカゴと改名して、ブリジット・フォンテーヌのアルバム『ラジオのように』(1969年)の制作に参加。そして、ドンが加入してからは、20年以上に渡って同じラインナップで活動する。 1974年、初の日本公演を行う。1978年にはECMレコードに移籍し、知名度を更に高める。 1980年代後半には、日本のレーベルDIW(ディスクユニオンの社内レーベル)と契約。移籍第1作の『エンシェント・トゥ・ザ・フューチャー(Ancient To The Future, Vol.1)』(1987年)は、多くのカバー曲(デューク・エリントン、オーティス・レディング、ボブ・マーリー、ジミ・ヘンドリックス、フェラ・クティ)を収録。 セロニアス・モンクに捧げたトリビュート・アルバム『セロニアス・スフィア・モンク』(1991年)では、セシル・テイラーと共演し、『ドリーミング・オブ・マスターズ組曲』(1991年)と並行して制作された。この制作時期に来日公演を行い『ライヴ・アット・トーキョー・ミュージック・ジョイ '90』(1990年)も残している。これらの作品がDIWレーベルにおける最後の作品となり、次作は自らが設立したレーベル、AECOレコード (AECO Records) に戻って発売された。1993年にジョセフが脱退。残された4人は、1998年にアトランティック・レコードから『Coming Home Jamaica』を発表するが、1999年、レスターが死去した。 2001年9月、レスターへのトリビュート・アルバム『レスター・ボウイに捧ぐ』を録音し、2003年に発売した。ECMレコードにおける録音は『サード・ディケイド』(1985年)以来のことであった。次作『Reunion』(2003年)からジョセフがバンドに復帰するが、2004年にはマラカイも死去。バンドは、新たなトランペット奏者とベーシストを迎えて活動を続けた。 メンバー担当楽器も併せて記載[2]。
ディスコグラフィ前身バンドの作品
アート・アンサンブル・オブ・シカゴ名義の作品
脚注
外部リンク |