ウィリアム・エドワーズ・ミラー(William Edwards Miller )による肖像画、1910年。
第4代エイルザ侯爵 アーチボルド・ケネディ (英語 : Archibald Kennedy, 4th Marquess of Ailsa FRSGS 、1872年 5月22日 – 1943年 2月27日 )は、イギリス の貴族、弁護士、軍人。1872年から1938年までカセルス伯爵 の儀礼称号 を使用した[ 1] 。
生涯
第3代エイルザ侯爵アーチボルド・ケネディ と1人目の妻エヴリン(Evelyn 、旧姓ステュアート(Stuart )、1848年6月24日 – 1888年7月26日、第12代ブランタイヤ卿チャールズ・ステュアート (英語版 ) の娘)の長男として、1872年5月22日にバークリー・スクエア (英語版 ) で生まれた[ 2] 。イートン・カレッジ で教育を受けた後、1890年6月17日にケンブリッジ大学 トリニティ・カレッジ に入学した[ 3] 。ほかにもエディンバラ大学 にも通った[ 3] 。1897年にスコットランドにおけるアドボケイト 資格を取得、エディンバラ で弁護士業に従事した[ 3] 。
1890年4月5日、ロイヤル・スコッツ・フュジリアーズ (英語版 ) 第3大隊(民兵大隊)の少尉(Second Lieutenant )に任命された[ 4] 。1892年7月9日に中尉に[ 5] 、1900年1月7日に大尉に昇進した[ 6] 。第二次ボーア戦争 では南アフリカに派遣されて参戦、1900年5月28日に南アフリカにおける陸軍中尉の臨時階級を与えられた[ 7] [ 8] 。1902年4月26日から7月16日までは南アフリカにおける陸軍大尉の臨時階級を与えられた[ 9] 。1907年7月15日、名誉階級として少佐に昇進した[ 10] 。1910年12月3日に正式に少佐に昇進した[ 11] 。1913年7月5日に引退したが[ 12] 、第一次世界大戦 の勃発に伴い1914年9月1日に大尉として復帰[ 13] 、戦後の1920年5月27日に再び引退した[ 14] 。1930年3月26日、ロイヤル・スコッツ・フュジリアーズ第4、第5大隊の名誉隊長(大佐)に任命された[ 15]
1898年1月4日にエアシャー の副統監 に任命された[ 16] 。ほかにもエアシャーの治安判事 を務めた[ 3] 。
フリーメイソン の一員だった[ 3] 。
Gaelic Society of Inverness 、王立ケルト協会(Royal Celtic Society )会長を務め[ 3] 、王立スコットランド地理協会 フェローにも選出された[ 17] 。
1935年にジョージ5世国王シルバージュビリーメダル (英語版 ) を、1937年にジョージ6世国王戴冠記念メダル (英語版 ) を授与された[ 17] 。
1938年4月9日に父が死去すると、エイルザ侯爵 位を継承した[ 1] 。
1943年2月27日にエディンバラ で死去した[ 3] 。子女がおらず、爵位は弟チャールズ が継承した[ 1] 。
家族
1903年4月30日、フランシス・エミリー・マクタガート=ステュアート(Frances Emily McTaggart-Stewart 、1949年10月29日没、初代準男爵サー・マーク・マクタガート=ステュアート (英語版 ) の三女)と結婚したが、2人の間に子供はいなかった[ 17] 。
出典
^ a b c Cokayne, George Edward ; Hammond, Peter W., eds. (1998). The Complete Peerage, or a history of the House of Lords and all its members from the earliest times (Addenda & Corrigenda) . Vol. 14 (2nd ed.). Stroud: Sutton Publishing. pp. 12–13.
^ Cokayne, George Edward ; Gibbs, Vicary , eds. (1910). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Ab-Adam to Basing) (英語). Vol. 1 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. p. 68.
^ a b c d e f g "Kennedy, Archibald, Earl of Cassillis. (KNDY890A)" . A Cambridge Alumni Database (英語). University of Cambridge.
^ "No. 26039" . The London Gazette (英語). 4 April 1890. p. 2036.
^ "No. 26305" . The London Gazette (英語). 8 July 1892. p. 3942.
^ "No. 27159" . The London Gazette (英語). 30 January 1900. p. 602.
^ "No. 27222" . The London Gazette (英語). 21 August 1900. p. 5177.
^ "No. 27209" . The London Gazette (英語). 10 July 1900. p. 4277.
^ "No. 27501" . The London Gazette (英語). 5 December 1902. p. 8442.
^ "No. 28051" . The London Gazette (英語). 16 August 1907. p. 5608.
^ "No. 28466" . The London Gazette (英語). 17 February 1911. p. 1240.
^ "No. 28734" . The London Gazette (英語). 4 July 1913. p. 4738.
^ "No. 28912" . The London Gazette (2nd supplement) (英語). 22 September 1914. p. 7578.
^ "No. 31918" . The London Gazette (3rd supplement) (英語). 25 May 1920. p. 5916.
^ "No. 33591" . The London Gazette (英語). 25 March 1930. p. 1893.
^ "No. 10950" . The Edinburgh Gazette (英語). 4 January 1898. p. 6.
^ a b c Mosley, Charles , ed. (1999). Burke’s Peerage and Baronetage (英語). Vol. I (106th ed.). London: Burke's Peerage Limited. p. 42. ISBN 2-940085-02-1 。
外部リンク