アンドレイ・カラジョルジェヴィチ
アンドレイ・カラジョルジェヴィチ(セルビア語: Андреј Карађорђевић, 1929年6月28日 - 1990年5月7日)は、ユーゴスラビア王国の王族。 生涯国王アレクサンダル1世とその妻マリア王妃の第3子、三男として、スロベニアのブレッドで生まれた。兄に国王ペータル2世、トミスラヴ王子がいる。 1941年、ナチス・ドイツがユーゴスラビア侵攻を開始すると、兄ペータル2世に従ってロンドンに渡った。ユーゴスラビアの王制が崩壊し、亡命を余儀なくされたため、ケンブリッジ大学クレア・カレッジで数学を学んだあと、保険仲立人として働いた。 アンドレイは1956年8月1日、ヘッセン=カッセル公子クリストフ・フォン・ヘッセンとギリシャ王女ソフィア・ティス・エラザスの長女クリスティーナ(1933年 - 2011年)と結婚した。ソフィアはイギリス王チャールズ3世の父エディンバラ公フィリップの姉である。夫妻はマリア・タチアナ(1957年 - )、フリストフェル(1960年 - 1994年:交通事故のため死去)の1男1女をもうけたが、クリスティーナが詩人ロベルト・フローリス・ファン・アイク(建築家アルド・ファン・アイクの兄)と不倫関係になったため、1962年に離婚した。 1963年9月18日、アンドレイはライニンゲン侯女キーラ(1930年 - 2005年)と再婚した。キーラはライニンゲン侯カールとロシア公女マリヤ・キリロヴナの娘である。二人はアンドレイが最初の妻クリスティーナと正式に離婚する前にラヴィニア・マリア(1961年 - )という娘をもうけたため、結婚後にラヴィニア・マリアを実父アンドレイの養女にするという形をとった。夫妻は他にカール・ヴラディーミル(1964年 - )、ディミトリ(1965年 - )の2人の息子をもうけたが、1972年には離婚した。 アンドレイは1974年3月30日にセルビア人のエヴァ・アンジェイコヴィチ(1926年 - 2020年)と3度目の結婚をした。二人の間に子どもはなかった。 アンドレイは1990年にアメリカ合衆国のカリフォルニア州アーバインで、自分の車の中で一酸化炭素中毒による自殺を遂げた。 関連項目ウィキメディア・コモンズには、アンドレイ・カラジョルジェヴィチに関するカテゴリがあります。 |