アンダース・フリーデン
アンダース・フリーデン (Anders Fridén、1973年3月25日 - )は、スウェーデンのヘヴィメタルミュージシャン (ボーカリスト)。イン・フレイムスのボーカリストとして著名。また、同バンドでは、作詞、作曲も行っている。この他に、音楽プロデューサー、レコーディング・エンジニアとしても活動している。また、ラッツィア・レコードのA&Rとしても活動している[2]。 スウェーデン語に近い発音では、フルネームでパール・アンデシュ・フリデーン(Pär Anders Fridén)となる。またイン・フレイムスの2ndアルバム『The Jester Race』の日本盤においては、アンデッシュ・フリーデンと記載されていたが、3rdアルバム『Whoracle』以降は英語読みのアンダース・フリーデンへと表記が統一された。 略歴1989年にデスメタルバンド、セプティック・ブロイラー (Septic Broiler)を結成し、活動を始める。セプティック・ブロイラーは、翌1990年にダーク・トランキュリティ (Dark Tranquillity)にバンド名を変更している。ダーク・トランキュリティは、1992年にスパインファーム・レコードと契約し、1993年に1stアルバム『Skydancer』でデビューしている。その後、アンダースは音楽的意見の相違を理由にダーク・トランキュリティを脱退している。ダーク・トランキュリティ脱退後、セレモニアル・オース (Ceremonial Oath)に加入。セレモニアル・オースでは、2ndアルバム『Carpet』に参加。その後、セレモニアル・オースは解散している。 セレモニアル・オース解散前後の1995年に、イン・フレイムス (In Flames)に加入。1996年リリースの2ndアルバム『The Jester Race』から参加するようになる。以後、イン・フレイムスのフロントマンとして活動していくこととなる。また、『The Jester Race』では、ダーク・トランキュリティのニクラス・スンディンと共作で、作詞を手掛けるようになった。4thアルバム『Colony』からは、アンダース一人で作詞を行うようになる。ただし、ニクラスは作詞はしないものの、スウェーデン語から英語への翻訳を手助けを続けていた。 またサイドプロジェクトとして、ニューメタルバンド、パッセンジャー (Passenger)を結成し、2003年には1stアルバム『Passenger』をリリースしている。パッセンジャーには、イン・フレイムスのニクラス・エンゲリン (G)、元ガーデニアンのホーカン・スコガー (B)、ドリーム・イーヴルのパット・パワー (Patrik J. Sten) (Ds)が参加していた。現在、パッセンジャーの活動は停止している。 2002年の『Reroute To Remain』でイン・フレイムスの音楽性が大きく変わったのと同時期に髭を伸ばすようになり、髪型がドレッドロックスになった。また同アルバムからボーカルスタイルも大きく変わった。低トーン、ハッシュボーカルは、ハイピッチのスクリームへと変化した。また、クリーンボーカルも使用するようになった。更に、同アルバムからは作曲にも携わるようになった。 また、1997年頃からレコーディング・エンジニア、音楽プロデューサーとしても活動している。イン・フレイムスでは、2002年の『Reroute To Remain』からミキシングに参加するようになった。 2007年には、ニュークリア・ブラスト設立20周年を記念して結成されたプロジェクトニュークリア・ブラスト・オールスターズに参加した。 2010年に、2002年頃から続けていたドレッドロックスを切り、外見が大きく変わった。 人物家族妻と息子1人、娘1人がいる。また、弟がいる。 趣味DVD鑑賞を趣味としている。アンダースは、"The one with the most DVDs when you die, wins."が好きな言葉であると述べている。 地元イェーテボリのサッカークラブ、IFKイェーテボリのサポーターでもある。 イン・フレイムスのライヴで度々来日しているが、日本では寿司と日本の酒が好物であると述べている[2]。 ディスコグラフィーイン・フレイムス
ダーク・トランキュリティ
セレモニアル・オース
ゲスト参加
プロデューサー・エンジニア参加
脚注
外部リンク |