アンソニー・ヤーコヴィック
アンソニー・ヤーコヴィック(Anthony Yerkovich) は、アメリカ合衆国の脚本家、プロデューサー。Tony Yerkovichの名が使われることもある。 略歴1980年代にヒットし数々の賞を受賞した『ヒルストリート・ブルース』『特捜刑事マイアミ・バイス』の脚本家、プロデューサーとして知られる[1]。『ヒルストリート・ブルース』は7シーズンも続き、エミー賞を26回受賞した[2]。これは1999年に始まった『ザ・ホワイトハウス』が更新するまで最多記録だった。 『特捜刑事マイアミ・バイス』の誕生は、当時NBCの取締役であったブランドン・タルティコフが思い付いた"MTV Cops"という単語から生まれたと言う説があるが、これは誰かがあとから広めた噂に過ぎないとヤーコビックは明言している[3]。彼によればタルティコフと出会う何年も前から、マイアミを舞台にする”Gold Coast”という犯罪ドラマの構想を練っていたという。放映する際、タイトルは"Miami Vice"に改められた。 しかしヤーコビックは最初の6エピソードの製作総指揮を務めただけで、それ以降は共同エグゼクティブプロデューサーであるマイケル・マンが全てを引き継いだ。マンは『マイアミバイス』に多様なアイデアを盛り込んでドラマを成功に導き彼の代表作になったが、実質的な功績はこのドラマを創造したヤーコビックにあると言える。 2006年の映画『マイアミ・バイス』ではクリエイターとして呼ばれ、再びエグゼクティブプロデューサーを務めた。 バッファロークラブ1994年からロサンゼルスのサンタモニカでレストラン経営を始めた[4]。 オートバイで仕事場に通っていた彼は、通り道のサンタモニカのオリンピック通り沿いにある「オリンピア」という古く寂れた酒場がとても気に入っており、オーナーと交渉し1991年にその建物を買い取った。美しいアールデコ建築の外観を残しながら禁酒法時代に東海岸で流行した「スピークイージー」をイメージして、上流階級向けのクラブのように大改装を施した。 店名は彼が育ったバッファロー(NY州)にちなんで「ザ・バッファロー・クラブ」”The Buffalo Club”と名付けた。店の入れ替わりが激しいロサンゼルスで、ハリウッドの有名人も多く訪れる高級レストランとして現在(2022年時点)も続いている[5]。 フィルモグラフィ脚本
プロデュース
脚注出展
外部リンクAnthony Yerkovich - IMDB アンソニー・ヤーコビック - allcinema |