アレン・ワット
アレン・ワット(Allen Watt, 1885年4月4日 - 1944年9月15日)は、アメリカ合衆国の映画監督、脚本家、俳優である[1]。 人物・来歴1885年(明治18年)4月4日、アメリカ合衆国のペンシルベニア州に生まれる[1]。 記録に残る最古のものは、1916年(大正5年)、俳優のレックス・デ・ロッセリと共同で脚本を執筆したジェイ・ハント監督の The Ghost of the Jungle である[1]。同作は、バイソン・モーション・ピクチャーズが製作した西部劇の短篇映画で、ユニヴァーサル・フィルム・マニュファクチュアリング・カンパニー(現在のユニバーサル・ピクチャーズ)が配給した[2]。同年、短篇コメディ Pie の脚本も執筆しているが、パワーズ・ピクチャー・プレイズが製作しユニヴァーサルが配給したこと以外、詳細は不明である[3]。 1917年(大正6年)12月1日、ユニヴァーサルの主演女優のマートル・ゴンザレスと結婚[1]、マートルは引退して家庭に入る[4]。ワットは、翌1918年(大正7年)、妻マートルの古巣のヴァイタグラフ・カンパニー・オヴ・アメリカ(ヴァイタグラフ・スタジオ)で短篇映画の監督となる[1]。2作を演出し、公開されたところで、全世界的に猛威を揮うスペインかぜに妻のマートルが罹患、同年10月22日に死去し、結婚1年に満たずに死別した[1][4]。 満27歳の新妻を失って2年を経た1920年(大正9年)、製作会社クリスティ・フィルム・カンパニーで Without a Wife (「妻がなければ」の意)というタイトルの短篇コメディを監督している[1]。1922年(大正11年)には同社が製作し、ヴェラ・ステッドマンが主演したコメディ映画 His Beach of Promise を監督するが、それ以降の監督作の記録がない[1]。 1927年(昭和2年)からは、レオ・マロニーが監督・主演する西部劇等を製作するレオ・マロニー・プロダクションズで脇役出演した記録があるが、翌年以降の出演記録はない[1]。 1944年(昭和19年)9月15日、カリフォルニア州ロサンゼルス市で死去した。満59歳没。 フィルモグラフィ
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