第10代ハミルトン公爵アレグザンダー・ハミルトン(英語: Alexander Hamilton, 10th Duke of Hamilton, KG, PC, FRS, FSA、1767年10月3日-1852年8月18日)は、イギリスの貴族、政治家。
経歴
1767年10月3日、第9代ハミルトン公爵アーチボルド・ハミルトンとその妻ハリエット(第6代ギャロウェイ伯爵アレグザンダー・ステュワートの娘)の間の長男としてロンドン・セント・ジェイムズ広場(英語版)に生まれる[1][2]。
ハーロー校を経てオックスフォード大学クライスト・チャーチへ進学。1789年にマスター・オブ・アーツ(英語版)の学位を取得[2]。
1802年7月から1806年11月にかけてランカスター選挙区(英語版)から選出されて庶民院議員を務めた[3]。1806年11月4日には繰上勅書によりいまだ父が存命ながら第7代ダットン男爵を継承し、貴族院議員に列した[4]。
1806年から1807年にかけて駐ロシア大使(英語版)を務めた[2]。1806年6月に枢密顧問官に列する[2]。
1819年2月16日に父が死去し。第10代ハミルトン公爵位を継承した[2]。
1820年から1822年にかけてフリーメイソンのスコットランド・グランドロッジ(英語版)のグランドマスターを務める[2]。
1834年から死去まで大英博物館の管理人を務めた[2]。1836年2月にガーター勲章を受けた[2]。
1852年9月4日にスコットランド・ハミルトン(英語版)のハミルトン宮殿(英語版)で死去。
栄典
爵位
1806年11月4日の繰上勅書により父アーチボルドから以下の爵位を継承した[4]。
- チェスターのパラティン州におけるダットンの第8代ダットン男爵(8th Baron Dutton, of Dutton in the County Palatine of Chester)
- (1711年9月10日の勅許状によるグレートブリテン貴族爵位)
1819年2月16日の父の死去により以下の爵位を継承した[2]。
- 第10代ハミルトン公爵(10th Duke of Hamilton)
- (1643年4月12日の勅許状によるスコットランド貴族爵位)
- 第7代ブランドン公爵(7th Duke of Brandon)
- (1711年9月10日の勅許状によるグレートブリテン貴族爵位)
- 第7代ダグラス侯爵(7th Marquess of Douglas)
- (1633年6月14日の勅許状によるスコットランド貴族爵位)
- 第10代クライズデール侯爵(10th Marquess of Clydesdale)
- (1643年4月12日の勅許状によるスコットランド貴族爵位)
- 第17代アンガス伯爵(英語版)(17th Earl of Angus)
- (1389年4月9日の勅許状によるスコットランド貴族爵位)
- 第9代ラナーク伯爵(9th Earl of Lanark)
- (1639年3月31日の勅許状によるスコットランド貴族爵位)
- 第10代アラン=ケンブリッジ伯爵(10th Earl of Arran and Cambridge)
- (1643年4月12日の勅許状によるスコットランド貴族爵位)
- 第7代アバーネシー=ジェドバラ・フォレスト卿(7th Lord Abernethy and Jedburgh Forest)
- (1633年6月14日の勅許状によるスコットランド貴族爵位)
- 第9代マッカンジリー=ポルモント卿(9th Lord Machanshire and Polmont)
- (1639年3月31日の勅許状によるスコットランド貴族爵位)
- 第10代エイヴェン=インナーデール卿(10th Lord Aven and Innerdale)
- (1643年4月12日の勅許状によるスコットランド貴族爵位)
勲章
家族
1810年にウィリアム・トマス・ベックフォードの娘スーザンと結婚し、彼女との間に以下の2子を儲けた[2]。
脚注
出典
外部リンク