アレクサンドロス1世(Αλέξανδρος Α΄[5], ? - 326年永眠)は、第13代[2]アレクサンドリア主教[注釈 1](在位:313年 - 326年[2][3][4])。
彼の前半生についてはよく判って居ない(生年すら憶測の域を出ない)[2]。
アリウス派への論駁に活躍。第1ニカイア公会議(第一全地公会)では、後にニカイア派と呼ばれる、アリウス派を弾劾した側の主要メンバーであった[2][3]。この公会時に、彼が教育して輔祭(助祭・執事)としていた大アタナシオスを秘書として同行させ、大アタナシオスが活躍するきっかけを作った[6]。
教会史家であるテオドレトス、ソゾメノス(ギリシア語版)、コンスタンティノープルのソクラテスはアレクサンドロス1世について、傑出した神学者であり偉大なる牧者であったと記している[1]。
326年死去[1]。
注釈
- ^ 当時はまだ総主教(パトリアルケース、パトリアルヒス、パトリアルフ)という称号は無かったが、歴代アレクサンドリア総主教には数えられる。
参照元