アレクサンドラ・ゲオルギエヴナ

アレクサンドラ・ゲオルギエヴナ
Александра Георгиевна
グリクシンブルグ家

出生 (1870-08-30) 1870年8月30日
ギリシャの旗 ギリシャ王国ケルキラ島
死去 (1891-09-24) 1891年9月24日(21歳没)
ロシア帝国の旗 ロシア帝国、イリンスコエ
埋葬 ギリシャの旗 ギリシャ王国、タトイ宮殿
配偶者 ロシア大公パーヴェル・アレクサンドロヴィチ
子女 マリア
ドミトリー
家名 グリュックスブルク家
父親 ギリシャ王ゲオルギオス1世
母親 オルガ・コンスタンティノヴナ・ティス・ロシアス
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アレクサンドラ・ゲオルギエヴナロシア語: Александра Георгиевна, ラテン文字転写: Alexandra Georgievna, 1870年8月30日 - 1891年9月24日)は、ギリシャの王女でロシアの皇族、ロシア大公妃。皇帝アレクサンドル2世の六男パーヴェル・アレクサンドロヴィチ大公の最初の妻。

生涯

ギリシャゲオルギオス1世とその王妃オルガの長女として、ケルキラ島で生まれた。

1889年、母の従弟のパーヴェル大公と結婚。2子をもうけた。

第2子の妊娠7ヶ月の頃、アレクサンドラは友人とモスクワ河岸を散歩中、突然ボートが彼女の方へ向かって突っ込んだ。アレクサンドラは転倒し、翌日から激痛に襲われ、男児ドミトリーを生んだ。それから6日後、アレクサンドラは急死した。

彼女の死後、パーヴェルはオリガ・カルノヴィチ英語版貴賤結婚した。