アルブレヒト・フォン・シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク=グリュックスブルク
アルブレヒト・フォン・シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク=グリュックスブルク(Prinz Albrecht von Schleswig-Holstein-Sonderburg-Glücksburg, 1863年3月15日 - 1948年4月23日)は、北ドイツの小諸侯グリュックスブルク家の公子。全名はアルブレヒト・クリスティアン・アドルフ・カール・オイゲン(Albrecht Christian Adolf Karl Eugen von Schleswig-Holstein-Sonderburg-Glücksburg)。 生涯グリュックスブルク公フリードリヒとその妻でシャウムブルク=リッペ侯ゲオルク・ヴィルヘルムの娘であるアーデルハイトの間の第5子、次男として生まれた。プロイセン陸軍の近衛胸甲騎兵連隊に所属し、1903年から1909年まで同連隊の連隊長を務めた[1]。最終階級は(名誉的な)陸軍中将まで昇った。1904年のオルデンブルク家諸家の家族協約により、アルブレヒトと兄のグリュックスブルク公フリードリヒ・フェルディナントは、オルデンブルク大公国の大公位継承権を認められた[2]。当時のオルデンブルク大公フリードリヒ・アウグストには、長男の大公世子を除けば後継者となり得る親族が1人もいなかったためである。 子女1906年10月14日にゲルンハウゼン郊外メーアホルツ(Meerholz)において、伯爵令嬢オルトルート・ツー・イーゼンブルク・ウント・ビューディンゲン・イン・メーアホルツ(1879年 - 1918年)と最初の結婚をし、1918年に死別した。彼女との間に3男1女をもうけた。
1920年9月19日にビューディンゲンにおいて、イーゼンブルク=ビューディンゲン侯ブルーノの娘ヘルタ(1883年 - 1972年)と再婚した。ヘルタは最初の妻オルトルートの従妹であった。2人の間には1女が生まれ、アルブレヒトはこの娘に亡き先妻の名前を付けた。
引用
参考文献
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