アリックス・ド・ブルゴーニュ (1146-1209)
アリックス・ド・ブルゴーニュ(フランス語:Alix de Bourgogne, 1146年 - 1209年)は、ブルボン領の継承者アルシャンボー・ド・ブルボンの妃。のち、フォントヴロー修道院の女子修道院長となった。ブルゴーニュ公ウード2世とマリー・ド・ブロワの娘[1]。 生涯1164年、アリックスはブルボン領主アルシャンボー7世の息子アルシャンボーと結婚した。しかし夫は1169年に父に先立って死去し、アルシャンボー7世の死後にブルボン領は2人の間の一人娘マティルドが継承することとなった。 アリックスは娘マティルドとともに弟ユーグ3世の庇護下に置かれ、ユーグ3世は姪マティルドを自身の臣下のひとりであるサラン領主ゴーシェ4世・ド・マコンと結婚させた[2]。 アリックスは1171年ごろに、デオル領主エッベ2世とドニーズ・ダンボワーズの息子シャトーメイヤン領主ウード・ド・デオルと再婚した。 1196年、娘マティルドがギー2世・ド・ダンピエールと再婚した後に、アリックスは母マリー・ド・ブロワがすでに住んでいたフォントヴロー修道院に隠棲し、後にフォントヴロー女子修道院長に任命された[2]。しかし修道院長に任命されてから1年も経たないうちに、正式に就任することなくアリックスは死去した。 結婚と子女1164年、ブルボン領主アルシャンボー7世とアニェス・ド・サヴォワの息子アルシャンボー(1169年没)と結婚したが、2人の間には1女が生まれた。
アルシャンボーの死後、1171年ごろにデオル領主エッベ2世とドニーズ・ダンボワーズの息子シャトーメイヤン領主ウード・ド・デオルと再婚したが、この結婚で子供は生まれなかった[3]。 脚注参考文献
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