アベベ・メコネン(Abebe Mekonnen 1964年10月16日- )はエチオピアの陸上競技選手(長距離)。
経歴
少年時代から陸上競技の素質を見いだされ、マモ・ウォルデらからトレーニングを受けていた[1]。
1985年ワールドカップ広島大会で初めてサブテン(2時間10分未満)を記録。1986年のロッテルダムマラソンでマラソン初優勝を果たす。1988年から1989年にかけてがマラソン選手としてのピークで、4レースに続けてサブテンを記録し、うち3つ(1989年の第93回ボストンマラソンを含む)のレースに優勝し、その一つである1988年の北京国際マラソンでは自己ベストとなる2時間07分35秒を記録した。この記録は四半世紀の長い間コースレコードであった。この活躍により、1988年ソウルオリンピック前後には現役世界最強選手と謳われた。しかし、エチオピアがソウルオリンピック参加を見送ったため、同国のベライン・デンシモ(当時世界最高記録保持者)ともども出場することができなかった。
1988年に出場ならなかったオリンピックには、1992年のバルセロナオリンピック、1996年のアトランタオリンピックにと2度エチオピア代表として出場したが、バルセロナでは途中棄権、アトランタでは2時間29分45秒で81位に終わった。また、世界陸上競技選手権大会でも4度出場しながら3度は途中棄権、完走した1995年のイェーテボリ大会も47位と、これらのビッグタイトルには縁がなかった。
自己記録を出した1988年の北京をはじめ、1989年の福岡、1991年東京世界陸上など、レース中やレース直後に嘔吐することが多かった。
世界クロスカントリー選手権には何度も出場し1993年には2位になっている。
1998年のロンドンマラソンで最後のサブテンを記録。1985年のワールドカップから数えて、足掛け14年もの間サブテンを記録したアベベ・メコネンは、男子マラソンサブテン最長足掛け期間記録保持者である。
マラソン成績
年月
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大会名
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タイム
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順位
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備考
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1984.03
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ウィーン
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2:17:25
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8位
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1984.05
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ミュンヘン
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2:15:40
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2位
|
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1984.08
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モスクワフレンドシップマラソン
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2:11:30
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2位
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1985.02
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東京国際マラソン
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2:12:39
|
4位
|
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1985.04
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ワールドカップマラソン(広島)
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2:09:05
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5位
|
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1985.09
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モントリオール
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2:15:09
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4位
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1985.12
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福岡国際マラソン
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2:13:23
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7位
|
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1986.02
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東京国際マラソン
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2:08:39
|
3位
|
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1986.04
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ロッテルダムマラソン
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2:09:08
|
優勝
|
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1986.06
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アディスアベバ
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2:16:07
|
優勝
|
|
1986.09
|
モントリオール
|
2:10:31
|
優勝
|
|
1987.02
|
東京国際マラソン
|
2:11:54
|
3位
|
|
1987.05
|
パリマラソン
|
2:11:10
|
優勝
|
|
1987.09
|
世界陸上(ローマ)
|
-----------
|
(棄権)
|
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1988.02
|
東京国際マラソン
|
2:08:33
|
優勝
|
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1988.04
|
ロッテルダムマラソン
|
2:09:33
|
4位
|
|
1988.10
|
北京国際マラソン
|
2:07:35
|
優勝
|
自己最高記録
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1989.04
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ボストンマラソン
|
2:09:06
|
優勝
|
|
1989.12
|
福岡国際マラソン
|
2:14:29
|
7位
|
|
1990.04
|
ロッテルダムマラソン
|
2:11:52
|
2位
|
|
1990.08
|
北海道マラソン
|
-----------
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(棄権)
|
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1991.02
|
東京国際マラソン
|
2:10:26
|
優勝
|
|
1991.04
|
ボストンマラソン
|
2:11:22
|
2位
|
|
1991.09
|
世界陸上(東京)
|
-----------
|
(棄権)
|
|
1991.12
|
福岡国際マラソン
|
2:11:39
|
4位
|
|
1992.04
|
ボストンマラソン
|
2:13:09
|
8位
|
|
1992.08
|
バルセロナオリンピック
|
-----------
|
(棄権)
|
|
1993.02
|
東京国際マラソン
|
2:12:00
|
優勝
|
|
1993.04
|
ボストンマラソン
|
-----------
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(棄権)
|
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1993.09
|
世界陸上(シュトゥットガルト)
|
-----------
|
(棄権)
|
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1994.02
|
東京国際マラソン
|
2:12:13
|
5位
|
|
1994.04
|
ロンドンマラソン
|
2:09:17
|
2位
|
|
1994.10
|
北京国際マラソン
|
2:11:33
|
2位
|
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1995.02
|
東京国際マラソン
|
-----------
|
(棄権)
|
|
1995.04
|
ロンドンマラソン
|
2:20:18
|
28位
|
|
1995.08
|
世界陸上(イェーテボリ)
|
2:32:35
|
47位
|
|
1995.10
|
春川
|
2:20:42
|
11位
|
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1996.03
|
びわ湖毎日マラソン
|
2:11:55
|
3位
|
|
1996.04
|
ボストンマラソン
|
2:10:21
|
6位
|
|
1996.08
|
アトランタオリンピック
|
2:29:45
|
81位
|
|
1996.10
|
北京国際マラソン
|
2:13:21
|
7位
|
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1997.03
|
東亜マラソン(慶州)
|
2:12:45
|
3位
|
|
1997.04
|
ロッテルダムマラソン
|
2:08:46
|
5位
|
|
1997.10
|
春川
|
2:10:27
|
4位
|
|
1998.01
|
ティベリアス
|
2:14:09
|
2位
|
|
1998.04
|
ロンドンマラソン
|
2:09:52
|
5位
|
|
1998.06
|
サンディエゴ
|
2:16:38
|
7位
|
|
1998.09
|
ベルリンマラソン
|
2:12:13
|
8位
|
|
1998.10
|
北京国際マラソン
|
2:27:34
|
36位
|
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1999.02
|
東京国際マラソン
|
2:21:40
|
20位
|
|
脚注
- ^ 山田一廣『アベベを覚えてますか』(壮神社、2004年)には、1979年当時マモが「すばしこくて体が柔らかい。長距離ランナーとしてあいつはものになる」と語っていたことが記されている。
外部リンク