アバクロンビー (モニター・2代)
アバクロンビー (HMS Abercrombie, F109) はイギリス海軍のモニター。ロバーツ級。艦名はジェームズ・アバークロンビー将軍に因む。[要出典]この名を持つモニターとしては2隻目。 艦歴第二次世界大戦中、モニター「テラー」は北アフリカの陸軍支援に従事し、1941年2月に戦没した。その働きが良かったため代艦が建造された[1]。それがこの「アバクロンビー」である。設計は「ロバーツ」のものをもとに、近接兵器の増加、弾薬、清水などの搭載量増加、発電能力の強化、居住空間の拡充などの変更がなされている[2]。 ニューカッスルのヴィッカース・アームストロング社で建造[3]。1941年5月26日起工[4]。1942年3月31日進水[4]。主砲塔は「フューリアス」の予備砲塔が改修されて搭載された[2]。その改修作業に時間がかかったことなどから、竣工は1943年5月5日となった[5]。 ハスキー作戦(シチリア島侵攻)参加のため「アバクロンビー」は1943年7月4日にチュニスに到着した[6]。「アバクロンビー」の担当はアメリカ軍の上陸支援であった[6]。「アバクロンビー」は上陸の行われた10月10日から10月15日まで砲撃を行った[7]。 続いてベイタウン作戦に参加したが、この作戦では「アバクロンビー」は砲撃を行う機会はなかった[8]。次の作戦はアヴァランチ作戦(サレルノ上陸)で、「アバクロンビー」の任務はアメリカ軍のサレルノ湾南端への上陸支援であった[9]。上陸は9月9日に行われ、「アバクロンビー」は砲撃を実施[9]。同日、艦中央部右舷側のバルジの下で機雷が爆発[9]。船体内部への被害はバルジによってほぼ食い止められたが、若干の浸水の他、15インチ砲の方位盤が落下するなどの被害があり、1名が負傷した[9]。修理はイタリアとの休戦後にタラントで行われ、10か月を要した[10]。 修理が完了した「アバクロンビー」は1944年8月15日にマルタ島に到着した[11]。8月21日、マルタ南東沖で訓練中であった「アバクロンビー」は2度触雷[11]。艦首の右側と後部の艦底に破孔が生じ、推進軸などが被害を受けた[11]。修理はマルタで行われ、11か月要した[11]。 修理後対日作戦に投入されることになるも終戦により引き返し、1945年11月6日にシーアネス着[12]。 宿泊艦や砲術教練艦などとして使用された後、1954年11月22日に英国鉄鋼会社に引き渡され、T. W. ウォード社のバロウ造船所で解体となった[13]。1954年12月24日、バロウ着[4]。 要目
脚注参考文献
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