アニ・ユドヨノ
クリスティアニ・へラワティ・ユドヨノ(インドネシア語: Kristiani Herrawati Yudhoyono, 1952年7月6日 - 2019年6月1日)は、インドネシアの政治活動家、女性活動家。第6代インドネシア大統領スシロ・バンバン・ユドヨノの妻である。 経歴インドネシア・ジョグジャカルタ市でサルウォ・エディ・ウィボウォとスナルティ・スリ・ハディヤの間に、7人兄弟の3番目として誕生する[1]。1973年、アニは私立クリスチャン大学の医学生になったが、3年目に父が駐韓国大使に任命されたため従った。 その後、1976年にスシロ・バンバン・ユドヨノと結婚した。その後、アニはテルブカ大学で学び続け、1998年に政治学の学士号を取得して卒業した。アニの政治活動には、民主党の副議長就任が含まれ、2001年の民主党創設時には、指導的立場にあった。2004年、夫のインドネシア共和国大統領選挙当選のために選挙運動を展開した。それ以前は、アブドゥルラフマン・ワヒドとメガワティ・スティアワティ・スカルノプトゥリの下で夫が大臣を務めていた間、さまざまな女性社会団体で活動していた。 夫が大統領に選出された後、アニはポリオ予防接種キャンペーンや[2]、子どもたちに本を読んでもらうためにバンに本を満載するモビル・ピンタールを組織した。2007年、ニューギニア島の希少な蝶に彼女の名前が付けられ、アニが博物館に寄贈したチョウ「Delias kristianiae」の標本が贈られた[3]。 2013年、インドネシアとオーストラリアの間で起きた騒動の一環として、オーストラリアの諜報機関がアニの携帯電話を盗聴していたことが発覚し[4]、同年12月にはアメリカ外交公電ウィキリークス流出事件の中でアニが言及され、政治問題に関して夫に積極的に影響を与えていると非難された。 アニは2019年6月1日朝、シンガポールの国立大学病院で約4ケ月間治療を受けた後、白血病のため66歳で死去した[5]。 遺骨は同日夜、シンガポールのパヤレバー空軍基地から東ジャカルタ市のハリム・ペルダナクスマ国際空港に空輸された。翌日、西ジャワ州チケアスの自宅で葬儀が執り行われ、同日午後には南ジャカルタ市のカリバタ英雄墓地に埋葬された。 脚注出典
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