アドマイヤコスモス(Admire Cosmos)[1]とは日本の競走馬。主な勝ち鞍に2011年の福島記念。馬名の意味は「冠名+花名」[2]。
戦績
2010年4月11日、阪神競馬場で行われた3歳未勝利戦でデビューし、2着。レース中に骨折をしていたことが判明したため手術を行い、そのため以降の未勝利戦には間に合わず名古屋競馬場・角田輝也厩舎に転厩した[5]。名古屋時代は12月中に3戦走り、初戦2着のあと2連勝として12月31日付で地方競馬の登録を抹消後、橋田満厩舎に戻った。JRA復帰初戦、2011年5月の二王子特別では最後の直線で抜け出し、後続に4馬身差をつけて勝利[6]。続く赤倉特別と京橋特別も勝って一息入れ、秋初戦の大原ステークスでは、3歳馬による更新としては14年ぶりとなる1分56秒8のレコードタイムで勝利し6連勝[7]。重賞初出走となった福島記念では中団からレースを進めて早め先頭で押し切って勝利し、7連勝で重賞初制覇を果たした[8]。
年明けて2012年の初戦の中山金杯に出走したが、3コーナーで後退し、最後は歩くようにして最下位で入線。レース後、右第3中手骨複骨折の診断が下された[9]。騎乗した上村洋行によるとレース直前には異変を感じなかったが、出走後2コーナーあたりから異変を感じていたという。競走を中止させなかったことについては、急に手綱を引っ張ればさらなる事故につながる恐れがあったこと、レース全体を壊さないようにしたこと、急ブレーキをかけることで馬にさらなる負担がかかることなどを考えて徐々にスピードを落としたためだという[10]。後日、骨折した患部を3本のボルトで接合する手術が行われ成功した[11]。その後は生まれ故郷の辻牧場で種牡馬入りが決まっていたが2012年3月21日、症状が悪化し予後不良となった[12][13]。
後に上村は、自身の騎手引退時にアドマイヤコスモスについて、「オルフェーヴルに挑戦してみたいと思わせてくれた馬だった。競馬を止めていたら復帰できるくらいのケガで済んだんじゃないかと今でも思う。橋田先生にも馬主さんにも本当に申し訳ないことをしたと思っている」と語っている[14]。
競走成績
以下の内容は、netkeiba.com[15]およびJBISサーチ[3]、地方競馬全国協会[4]に基づく。
競走日
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競馬場
|
競走名
|
格
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距離(馬場)
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頭 数
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枠 番
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馬 番
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オッズ (人気)
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着順
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タイム (上り3F)
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着差
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騎手
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斤量 [kg]
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1着馬(2着馬)
|
馬体重 [kg]
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2010.04.11
|
阪神
|
3歳未勝利
|
|
ダ1800m(良)
|
16
|
3
|
6
|
02.2(1人)
|
02着
|
R1:55.4 (36.5)
|
-0.2
|
藤岡佑介
|
56
|
ウインベルカント
|
476
|
0000.12.03
|
名古屋
|
C6
|
|
ダ1300m(不)
|
9
|
6
|
6
|
01.9(1人)
|
02着
|
R1:22.1 (37.7)
|
-0.0
|
吉田稔
|
56
|
コスモルアノーヴァ
|
470
|
0000.12.10
|
名古屋
|
C5
|
|
ダ1400m(稍)
|
8
|
4
|
4
|
01.0(1人)
|
01着
|
R1:31.3 (39.3)
|
-0.2
|
吉田稔
|
56
|
(ゴールドスイング)
|
469
|
0000.12.24
|
名古屋
|
持原大志騎手100勝おめでとう
|
C3
|
ダ1400m(重)
|
10
|
2
|
2
|
01.3(1人)
|
01着
|
R1:30.3 (39.1)
|
-0.4
|
吉田稔
|
56
|
(コスモルアノーヴァ)
|
465
|
2011.05.07
|
新潟
|
二王子特別
|
500
|
芝1800m(良)
|
11
|
6
|
7
|
04.1(3人)
|
01着
|
R1:47.3 (32.9)
|
-0.7
|
上村洋行
|
57
|
(ツルミプラチナム)
|
464
|
0000.05.21
|
新潟
|
赤倉特別
|
1000
|
芝2000m(良)
|
16
|
2
|
4
|
01.5(1人)
|
01着
|
R1:58.8 (34.2)
|
-0.4
|
上村洋行
|
57
|
(テイエムシバスキー)
|
458
|
0000.06.25
|
阪神
|
京橋特別
|
1000
|
芝2000m(良)
|
9
|
8
|
8
|
01.6(1人)
|
01着
|
R2:00.4 (33.8)
|
-0.0
|
上村洋行
|
57
|
(ダノンスパシーバ)
|
460
|
0000.10.08
|
京都
|
大原S
|
1600
|
芝2000m(良)
|
13
|
6
|
9
|
01.8(1人)
|
01着
|
R1:56.8 (34.5)
|
-0.2
|
上村洋行
|
57
|
(ワルキューレ)
|
474
|
0000.11.20
|
新潟
|
福島記念
|
GIII
|
芝2000m(重)
|
18
|
5
|
9
|
01.9(1人)
|
01着
|
R1:59.1 (34.3)
|
-0.1
|
上村洋行
|
56
|
(メイショウカンパク)
|
478
|
2012.01.05
|
中山
|
中山金杯
|
GIII
|
芝2000m(良)
|
16
|
3
|
5
|
02.0(1人)
|
16着
|
R2:08.1(42.6)
|
-8.7
|
上村洋行
|
57
|
フェデラリスト
|
474
|
血統表
脚注
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o “アドマイヤコスモス”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2019年8月20日閲覧。
- ^ a b “アドマイヤコスモスが種牡馬入り前に死亡”. 競馬ラボ. KEIBA LAB (2012年3月23日). 2021年8月7日閲覧。
- ^ a b “アドマイヤコスモス 競走成績”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2019年8月20日閲覧。
- ^ a b “アドマイヤコスモス 出走履歴”. 地方競馬全国協会. 2021年8月7日閲覧。
- ^ “福島記念 G3|重賞ウイナーレポート”. 競走馬のふるさと案内所. 2014年6月5日閲覧。
- ^ “コスモス芝適性十分で連勝濃厚/新潟11R”. nikkansports.com (2011年5月21日). 2014年6月5日閲覧。
- ^ “びっくりレコードでコスモスV/京都10R”. nikkansports.com (2011年10月8日). 2014年6月5日閲覧。
- ^ “【福島記念】アドマイヤコスモス7連勝で重賞初V”. スポニチ Sponichi Annex (2011年11月21日). 2014年6月5日閲覧。
- ^ “【中山金杯】1番人気も…アドマイヤコスモス骨折”. スポニチ Sponichi Annex (2012年1月6日). 2014年6月5日閲覧。
- ^ “アドマイヤコスモスが完走することになった理由。”. 上村洋行オフィシャルブログ 「うえちんのひとごと」 (2012年1月7日). 2014年6月5日閲覧。
- ^ “骨折コスモスはボルトによる接合手術成功”. nikkansports.com (2012年1月11日). 2014年6月5日閲覧。
- ^ “アドマイヤコスモス急死 けい養先で病状悪化”. スポニチ Sponichi Annex (2012年3月23日). 2014年6月5日閲覧。
- ^ “コスモス悲劇…骨折の症状悪化で安楽死”. nikkansports.com (2012年3月23日). 2014年6月5日閲覧。
- ^ “【騎手引退】上村洋行 22年間の真実(4) - 「先生のために勝ちたい」自分を追い込んだ執念のGI”. netkeiba.com競馬コラム (2014年3月13日). 2014年6月5日閲覧。
- ^ “netkeiba アドマイヤコスモスの競走成績”. Net Dreamers Co., Ltd.. 2019年8月20日閲覧。
- ^ a b c “アドマイヤコスモス 血統情報:5代血統表”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2021年8月7日閲覧。
- ^ a b c d e “アドマイヤコスモスの5代血統表”. netkeiba. Net Dreamers Co., Ltd.. 2021年8月7日閲覧。
外部リンク