アッシュル・レシュ・イシ2世
アッシュル・レシュ・イシ2世(Aššūr-reš-iši II、maš-šur-SAG-i-ši、「アッシュル神は我が頭を持ち上げる」、在位:前971年-前967年)はアッシリアの王。『アッシリア王名表』には第96代のアッシリア王としてリストされている[i 1][i 2]。5年間という短い彼の治世は詳細がはっきりせず、また前任者であるアッシュル・ラビ2世および後任者であるティグラト・ピレセル2世の長い治世によって影が薄くなっている。 来歴彼は父親であるアッシュル・ラビ2世の跡を継いで王となった。アッシュル・ラビ2世は41年間という長い在位期間を持っており、アッシュル・レシュ・イシ2世は恐らく即位した時にはかなり高齢であったであろう。『対照王名表(Synchronistic Kinglist)[i 3]』において彼に対応するバビロンの王はバビロン第7王朝(エラム王朝)の唯一の王であるマール・ビティ・アプラ・ウツル(在位:前983年-前978年)とされている。だが、バビロニアとアッシリアの伝統的な編年に照らして、実際の同時代の王はナブー・ムキン・アプリ(在位:前978年-前943年)であった可能性の方が高い[1]。リンム表「Cc」[i 4]の断片において、彼の時代のリンム職担当者を記載していたはずの第V列最上部は欠損しており読み取れない。 『アッシリア王名表』の写本と、彼の孫アッシュル・ダン2世による言及を別にすると、アッシュル・レシュ・イシ2世に言及する同時代の碑文はアッシュルのStelenreihe(石碑の列)から見つかった彼の石碑と[i 5]、ベール・エレシュ(Bēl-ereš)のシリンダーの碑文[i 6]だけである[2]。彼の石碑(No. 12)にはシンプルに「アッシリアの王(MAN.KUR aš-šur)[ア]ッシュール・[ラ]ビ([A]ššur-[r]abi)の子、アッシュル・レシュ・イシのṣalam」と刻まれている。ṣalamという単語は「像」を意味するものと解釈される[3]。アッシュル市から発見されたシリンダーの碑文では、ハブール川の河谷地方にあるシャディカンニ(Šadikanni)のサムヌハ[訳語疑問点]神殿のシャングー(šangû、神官長)であったベール・エレシュが、アッシュル・ラビ2世の治世中に自分が行った運河の岸壁の建設と、アッシュル・レシュ・イシ2世の治世中に行ったサムヌハ神殿の再建を記念している。 史料
出典
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