アダム・ロサレス
アダム・M・ロサレス(Adam M. Rosales, 1983年5月20日 - )は、アメリカ合衆国イリノイ州クック郡パークリッジ出身の元プロ野球選手(内野手)。右投右打。愛称はロジー(Rosie)[1]。 経歴プロ入り前メキシコ系アメリカ人の家系に生まれ、メイン・サウス高等学校、西ミシガン大学と進学した。 プロ入りとレッズ時代2005年のMLBドラフト12巡目(全体362位)でシンシナティ・レッズから指名され、6月9日に契約した[2]。 2008年8月9日のヒューストン・アストロズ戦で代打としてメジャー初出場。その後も負傷したジェリー・ヘアストン・ジュニアの代役として試合に出場した。 2009年シーズンは傘下のAAA級ルイビル・バッツで開幕を迎えたが、4月28日に故障者リスト入りしたエドウィン・エンカーナシオンに代わって昇格した[2]。 アスレチックス時代2010年2月1日にアーロン・マイルズとのトレードで、ウィリー・タベラスと共にオークランド・アスレチックスへ移籍した[2]。 レンジャーズ時代2013年8月2日にウェイバー公示を経てテキサス・レンジャーズへ移籍したが、5日にDFAとなった[2]。8月8日にウェイバー公示を経てアスレチックスに復帰するが、10日に再びDFAとなり、ネルソン・クルーズが禁止薬物使用で50試合出場停止となった影響で、12日にウェイバー公示を経てレンジャーズが再びロサレスを獲得した[3]。そのため、わずか10日間で3度もDFAを受ける形となった。 2014年3月30日にDFAとなり、4月2日にマイナー契約で傘下のAAA級ラウンドロック・エクスプレスへ降格した[2]。降格後はAAA級ラウンドロックで72試合に出場し、6月30日に再びレンジャーズとメジャー契約を結んだ[4]。この年は56試合に出場して打率.262、4本塁打、19打点、4盗塁を記録した。オフの12月2日にノンテンダーFAとなった[5]。 2015年1月5日にレンジャーズと90万ドルの1年契約で再契約した[6][7]。5月9日のタンパベイ・レイズ戦では、二塁走者だったアズドルバル・カブレラが二塁への牽制に対してスライディングしセーフとなったが、この際に二塁手だったロサレスが膝で塁を塞いでいたため、これに激高しカブレラに胸を両手で押された。これに両軍総出の一触即発の場面となったが事態が収まった後に、ベース上でロサレスがカブレラに謝罪し事なきを得た[8]。8月19日にDFAとなり[9]、23日に自由契約となった[2]。 パドレス時代2016年1月1日にサンディエゴ・パドレスとマイナー契約を結んだ。4月3日にメジャー契約を結び、開幕をメジャーで迎えた。オフにFAとなった[2]。 アスレチックス復帰2017年1月25日にアスレチックスと1年契約を結んだ[10]。 ダイヤモンドバックス時代2017年7月31日にジェファーソン・メヒアとのトレードで、アリゾナ・ダイヤモンドバックスへ移籍した[11]。オフの11月2日にFAとなった[12]。 インディアンス時代2018年2月1日にフィラデルフィア・フィリーズとマイナー契約を結んで同年のスプリングトレーニングに招待選手として参加することになったが、3月23日に自由契約となった[13]。 その後、3月27日にクリーブランド・インディアンスとマイナー契約を結んだ。シーズンでは傘下のAAA級コロンバス・クリッパーズでプレーし、114試合に出場して打率.239、18本塁打、61打点、3盗塁を記録した。9月4日にメジャー契約を結んでアクティブ・ロースター入りした[14]。この年メジャーでは13試合に出場して打率.211、1本塁打、2打点を記録した。オフの10月29日にFAとなった[2]。 ツインズ傘下時代2019年2月8日にミネソタ・ツインズとマイナー契約を結んで同年のスプリングトレーニングに招待選手として参加することになった。3月22日に自由契約となったが、3月28日に再びマイナー契約を結んだ[2]。シーズンでは開幕から傘下のAAA級ロチェスター・レッドウイングスでプレーした。 インディアンス傘下時代2019年5月4日に金銭トレードで、インディアンスへ移籍した。移籍後はAAA級コロンバスでプレーし、移籍前を含めた2球団合計で76試合に出場して打率.210、7本塁打、26打点、1盗塁を記録した。オフの11月4日にFAとなった[2]。 引退後2019年11月5日にアスレチックス傘下のマイナーのコーチへの就任が報じられた[15]。 プレースタイル捕手を除く内野の4ポジションと左翼も守ったことがある様に典型的なユーティリティプレイヤー。2015年6月26日のトロント・ブルージェイズ戦、同年7月28日のニューヨーク・ヤンキース戦では投手としても出場した[16]。 本塁打を打った後に全力疾走に近いスピードで塁を一周して帰って来るのも特徴的だった[17]。 詳細情報年度別打撃成績
背番号
脚注
関連項目外部リンク
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