アグダラ県
アグダラ県(アグダラけん、アゼルバイジャン語: Ағдәрә рајону)、旧称マルダケルト地区(Мардакерт рајону, ロシア語: Мардакертский район, アルメニア語: Մարտակերտի շրջան)はアゼルバイジャン・ソビエト社会主義共和国領ナゴルノ・カラバフ自治州、そしてアゼルバイジャンに1930年から1992年まで存在したラヨン。アグダラ(旧称マルダケルト)を首府とし、面積は1700平方キロメートル[1]。 沿革1930年8月8日に「ジェラベルト(ジョラベルト[2])地区」(Джерабертский район, 現代アゼルバイジャン語: Cerabert (Corabərt) rayonu) として設置され、1939年9月17日(または10日[2])に「マルダケルト(マルタケルト)地区」と改称された[3]。1991年の「ナゴルノ・カラバフ共和国」成立に伴いアルメニア人勢力はここをその行政区画「マルタケルト地区」としたが[4]、一方のアゼルバイジャン最高会議 (ru) は同年11月26日の自治州解体に伴いマルダケルト地区を「アグダラ県(地区)」と改称した (s:az)。 その後、ナゴルノ・カラバフ戦争中の1992年8月25日にセイスランとタルシュを含む一部の地域がタルタル県に移され、さらに10月13日にはアグダラ県自体がアグダム県(8村)、キャルバジャル県(23村)、そしてタルタル県(アグダラ町の他17村)の3県に分割され消滅した[5]。翌1993年7月に旧アグダラ県地域は「ナゴルノ・カラバフ共和国」の勢力下に入り、タルタル県の一部の領域がアゼルバイジャンの実効支配地域として残された[5]。2020年の第二次ナゴルノ・カラバフ戦争によりアゼルバイジャン軍がマタギスなどの数ヶ村を奪還した。 地理・経済領域は一般に山岳地帯であり、人口は東部に集中していた[6]。メフマナにはポリマー、石灰、石膏や貴金属の鉱床が存在し、産業に重要な位置を占めていた[6]。グズルブラグ鉱床からは13.6単位の金と4790万トンの銅が、メフマナ鉱山・ダミルリ (az) 鉄鉱床・ジャニャタグ=ギュリヤタグ金鉱床からは3730万トンの鉛と4040万トンの亜鉛、1万トンの鉄が産出され、工業生産量はアグダラで3808万立方メートル、ショルブラグ第1採石場で642万3000立方メートル、ショルブラグ第2採石場で212万9000立方メートル、アグダラ石灰鉱床で20万立方メートルであった[6]。 地区内には主な河川としてタルタル川とハチュン川があり、タルタル川には1976年にサルサング貯水池(水量56万立方メートル、年間発電量1万2500キロワット)が建設され、貯水池は12万ヘクタールの土地を灌漑した[6]。戦争前の時点で、7万5590ヘクタールの土地が緑化されていた[6]。アグダラは自治州内の主要な農村であり、1988年の主要産業は葡萄(3400ヘクタール)・穀物・タバコ栽培および畜産であった[6]。5万3324ヘクタールの耕作地のうち、2万1189ヘクタールが播種地、5931ヘクタールが多年生植物用地、1892ヘクタールが収穫地、2万2863ヘクタールが牧草地となっていた[6]。タルタル渓谷にはプラタナスの保護林が存在した[6]。 人口推移マルダケルト地区の民族別人口は以下のように推移している[7]。 10,000
20,000
30,000
40,000
50,000
1939年
1959年
1970年
1979年
行政区分1977年の時点で、マルダケルト地区にはマルダケルト、レニナヴァン、マタギスの3町、57の村とそれらを管轄する2つの集落ソビエトと22の村ソビエトが存在した[1]。
戦争以前、スィルハヴェンド、バシルラル (az)、ガラシュラル (az)、ガララル、バシュ・ギュネイペヤ、オルタ・ギュネイペヤ、ハトゥインベイリ、マニクル、テッリビナ、ナレシュタル、チャレクタル、イマラト・ゲルヴェンド、ウムドル、イェニ・ガララル (az) の14の村とガンスハナ・ソフホーズはアゼルバイジャン人集落であり、その人口は1万4000人を超えていたとされる[5]。 脚注
参考文献
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