まりこふん
まりこふん(英字表記:Marikofun)は日本の歌手、シンガーソングライター、古墳研究家。 人物古墳時代(3世紀後半から7世紀)に日本各地に築造された前方後円墳や円墳・方墳などの古墳を、延べ3000基以上[9]取材し「古墳はかわいい」という独自の視点を通して「堅苦しい古墳をカジュアルな印象にしたい」として、様々な啓蒙活動に取り組み、古墳に関する紀行番組や講演などを中心に数多く活動している。 2013年(平成25年)、「古墳にコーフン協会」初代会長に就任。巫女型埴輪をイメージした衣装を身にまとい[10]、シンガーソングライターとしても活動している。 経歴生い立ちフォークシンガーの両親の元で生まれ、埼玉県久喜市で育った[4][5][6]。両親の影響で幼少期から音楽環境に育まれ、ピアノと声楽を習得した。高校時代から本格的にプロを目指すようになる。高校卒業後は国立音楽院、音楽学校メーザー・ハウスで作曲の基本を学ぶとともに、イギリスへ音楽留学しボーカルの技術を習得した。音楽学校卒業後はヤマハ音楽教室でボーカル講師になるとともにホテルやJAZZBar、ライブハウスなどで歌手として活動していた[6]。 幼少期に埼玉県行田市にあるさきたま古墳群へ遠足で行ったことがある。その時は古墳にのぼれ、古墳の上でお弁当を食べたと記憶している[11]。この当時はまだ古墳にはハマっていなかった。 MARIとしての活動デビュー当初はまりこふんではなくMARIという名前でシンガーとして活動していた[3]。 ウルフルケイスケのソロ活動のTHE GO GO GO'S 『Smile&Destroy』のレコーディングに参加、CMソングのレコーディングに参加、「地獄極楽巡りのテーマパーク 伊豆極楽苑」の公式テーマソングを歌う(作詞・作曲・編曲・歌)。そのほか、アナアキイズでのVo&Key、ダンボール・バットのコーラスサポート、ED WOODSのレコーディングに参加、AS BROTHERSのレコーディングに参加、デッドバンビーズのレコーディングに参加していた[6]。 2010年に約10年間活動休止していた「Black&Blue」の活動を再開。女性達が心に抱く「恨み」「憎しみ」「嫉妬」「復讐」「愛」などの情念を音楽を通して現代にも伝えていきたいと唄っている。時にはサポートメンバーやゲストミュージシャンを迎え、バンドバージョンとしても活動していた[6]。 古墳との出会い2006年、深夜に放送されていたアニメ『古墳GALのコフィー[注 3]』を観たことが古墳に興味をもつきっかけとなる。興味を持った理由としてコフィーが可愛いということもあったが、観ていくうちに古墳用語が気になり、色々と調べていくうちに本物の古墳を観たくなり、一人でどんどん観に行くようになった。学生の頃は古墳っていうと堅苦しいイメージでとっつきにくかったが、コフィーを観た途端にイメージが一転した[1][12]。 2007年、ライブで大阪へ行った時に観光で大仙陵古墳に行き[注 4][11]、「本物の前方後円墳って、どんなものだろう?」とワクワクしていた。しかし、巨大すぎてまったくわからず[注 5]、森にしか見えなかった[注 6]が、近くの博物館で大仙陵古墳が世界3大墳墓の一つであり、面積では世界最大ということを知って驚く。世界三大墳墓のうち、エジプトのピラミッド、秦の始皇帝陵と扱いが全然違うと感じた。その2つは世界遺産にもなっており(2019年から大仙陵古墳も世界遺産に登録されたがこの当時は登録されていない)、かたや大仙古墳は世界一大きい墳墓なのに誰も興味もっておらず、これは悔しいと感じた。それから古墳に興味を持つようになった[13]。帰りの阪和線で「こんなに近くにいるのにあなたに会えない」というフレーズが降りてきて、何十分かのあいだに歌詞とメロディーが完成して帰りの新幹線の中で「麗しの仁徳陵」という古墳ブルース第一弾ができた[1][11][12]。その後、まりこふんとして活動を開始する[注 7][3][8]。 その後、2007年頃から2008年頃[注 8]の期間に古墳が好きになり始める。幼少期に遠足で行った埼玉古墳群に久々に行ってみると、横からみても前方後円墳の形がわかることを知る。大仙陵古墳は近くにいても(墳丘に)会えなかったが、埼玉古墳群は古墳の上に登れたため、「もう古墳の近くに来れたぞ~」と言って悔しい思いのおかげで感動した[11]。その後、ライブで全国を回るたびに、古墳を見て歩くようになる。それまでは歴史も嫌いでまったく興味がなかった。しかし、埴輪を設計する人や古墳を設計する人、石工職人などの古墳まわりの人が好きになり、それを妄想するのが好きになる。また、古墳を守ってきた周辺住民など、町単位で好きになる[注 9][11]。 他の古墳はどうなっているのか調べると、古墳が全国に16万基もあることを知り、その数に驚愕する。形もたくさんあることを知り、「ヤバい、この形見てみたい」と、音楽ツアーで行く土地土地で巡るようになる。その後は徐々に「この古墳に行きたいから、ここでツアーを組もう」となり、古墳がメインになっていった[11]。 古墳ブームの発生と発展2010年頃から古墳の歌を歌うシンガーソングライターとして各地のイベントに出演するようになる[注 10][8]。2010年末、巨大な横穴式石室で有名な石舞台古墳(奈良県明日香村)を訪ねた時の印象を元に「遥かなる石舞台」という曲を作る[1]。 2011年3月2日、読売新聞に世界初の「古墳ブルース」を歌うまりこふんとしての活動が掲載され、これがメディア初出となる[注 11][1][6][8]。その後、2011年にNHKニュース9で取り上げられたあたりから古墳ブームを実感する。 2012年頃、奈良のイベントで古墳の唄を歌っていると「うちの近くに、なになに古墳ってあるんだよ」と言っていままで古墳にまったく注目してこなかった人が自慢してきた。それが嬉しく、今までは「わたしはいつも古墳からもらうばかりで、古墳のためにわたしが出来ることって、そんなにない」と思っていたが、これは古墳の役に立ててるかもと思い始めた。古墳イベントをしたり古墳ソングを歌っているうちに「あの古墳行ってみました、すごいですね」と古墳好きになってくれる人が増えてきた。そんな様子をインターネットにアップロードしていくうちに、隠れ古墳好きたちがメッセージをくれた[8][11]。 誰にもいえず1人で古墳を巡ってる人たちが、全国各地にもともといた。「ほんとうにありがとうございます。まりこふんさんが大声で古墳が好きだと言ってくれるので、わたしもこれからは堂々と古墳めぐりができます」という人が結構いたことを知る。「古墳が好きだ」というと変なやつだと思われるから黙っていた人を見てきた。そういう人は男女問わずいた。古墳ばかり撮っている男性カメラマンからは「まりこふんさんの活動がきっかけで、古墳写真の個展をひらくことにしました!」と言われたこともあった。古墳にコーフン協会はこれらの出来事が重なったきっかけで設立に至る[8][11]。設立後は少しずつ古墳好き同士のネットワークが広がっていった。 2013年1月に古墳をゆるく楽しく愛でるをモットーに「古墳にコーフン協会」を設立、会長を務める[9][14]。 古墳にコーフン協会の設立後奈良県桜井市箸墓古墳に立ち入り調査が入った2013年2月20日のNHKニュースウオッチ9にて、古墳ブームが紹介された。この番組で古墳ソングを歌うシンガーソングライターとしてまりこふんが生出演、即興で歌を披露し、SNS などで大きな反響があった。これが古墳ブームの火付け役となり全国ネットで報道されて注目を集めるようになった[8]。 2014年4月25日にまりこふん初の著書である『まりこふんの古墳ブック』( 山と渓谷社 ) が出版された[15]。これが古墳を学術的な観点からではなく、「かわいい」という観点から紹介したことから注目を浴び、主に女性に大きな影響を与えた[8]。古墳ブームが来る前は古墳のことを知りたいって思っても仏像みたいに女の子が読むようなわかりやすい本が無かった。ものすごい難しい学術的なものしかなくて読んでもまったくわからなかった。そのため、いつかわかりやすい古墳本が書けたらいいなと思っていた。その経験が「まりこふんの古墳ブック」と「古墳の歩き方」を出版するきっかけとなる[11]。 2014年からはとバス主催の「まりこふんと行く古墳バスツアー」を毎年開催[9]。 2017年11月27日のインタビューでは、古墳に対する興味を持つ人がもっと増えること、古墳が地方活性化に活用され、同時にその地域の人たちが自分の地元の古墳について知ることが重要である。また同時に世界に古墳の魅力を発信することも必要。学術的なものを排除するというわけではなく、学術的ではない方向からのアプローチも必要であるということで、専門家にとっても「古墳へのハードルを下げること」が課題であると話す[8]。 著書
楽曲1stアルバム 古墳deコーフン!
2ndアルバム 装飾古墳
3rdアルバム It’s 埋葬るロケ地(ロケーション撮影の場所)は奈良県生駒郡平群町の烏土塚古墳。
シングル 考古★検定
放送
ライブ
脚注注釈
出典
その他の出典 外部リンク
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