たたりもっけたたりもっけまたは祟りもっけ、タタリモッケは、青森県などに伝わる怪異。 嘉瀬村の「たたりもっけ」北津軽郡嘉瀬村(現・五所川原市)では、死んだ嬰児の死霊を「たたりもっけ」と呼び、こうした魂はフクロウに宿ることもあるという[1]。そのため、フクロウのホーホーという声は死んだ嬰児の泣き声といい[2]、子供を亡くした家はフクロウを大事にしたという説もある[3]。 かつての日本では、生まれて間もない嬰児は人間とは認められていなかったために、死んだ嬰児は墓ではなく家の周囲に埋めたことが多々あり、そうしたものの霊の内でも祟りのないものは座敷童子と見なされ、祟りのあるものをたたりもっけと呼んだとする見方もある[4]。 北・西津軽郡の「たたりもっけ」青森県北津軽郡や西津軽郡では、人が惨たらしい手口で殺された後、その者の加害者に対する怨みによって、加害者個人のみならず、加害者の住む家全体が祟りに遭うことをたたりもっけという[5]。祟られた家では怪火や怪音などが頻発し、家人が病気になったり、ときには一家全滅に追いやられ、さらにその後の何代もにわたって祟りが及ぶという[6]。 民俗学者・内田邦彦は、たたりもっけに「祟り蛙」の漢字表記を当て、「蛙」を嬰児の意味とし、この地方では嬰児を「もけ」ということや、かつて貧しさからの堕胎や子殺しの風習が盛んであったことから、たたりもっけを死んだ嬰児の祟りとしている[6]。この例として岩手県では、ある死んだ嬰児が葬式も挙げられずに川端に埋められ、そこから人魂が現れるようになり、そこを通った者が石につまづいたり、変な気持ちになったりするといわれ、たたりもっけの仕業とされていた[7]。 事例民俗資料においては、以下のような事例が報告されている。
類話享保時代の怪談集『太平百物語』に「女の執心永く恨みを報いし事」と題し、同様に無念の死を遂げた者の怨霊が家を祟る話があり、民俗学者・池田彌三郎の著書において類話として紹介されている。 ある富豪の家で、主人が召使の女に罪をかぶせて殺した。女は死の間際、この家が続く限り怨みを晴らすと言い放った。 まず、家の主人が女の霊の取り憑かれて死んだ。その息子は、災いを逃れようと仏神に祈ったが、それでも霊が憑いた。彼は死の間際に、息子の小佐衛門に「自分は祟り死ぬが、お前は災いを逃れるため、より仏神を信じ、貧しい者に慈悲を与えよ」と言い残して死んだ。 小佐衛門は父の教えを守って暮していたが、父の一周忌が済んだ頃、家中の床や壁が血だらけとなった。小佐衛門は家来に拭き取るよう命じたが、家来には血など見えなかった。小佐衛門が「こんなに大量の血が見えないのか」と怒るので、家来たちは「あの女の祟りだ」と恐れた。 やがて家の食器も血だらけとなったため、小佐衛門は食事もろくにとれずに痩せ衰え、1年ほどで命を落とした。子供がいなかったため、家は断絶した。女の執念によってこの家は根絶やしにされたということである[8]。 脚注
参考文献
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