ニコラ=ルイ・ド・ラカーユは、1756年に公表した星図「南極と南回帰線の間の星座を含む天球図(仏: Planisphere contenant les Constellations Celestes comprises entre le Pole Austral et le Tropique du Capricorne)」の中で「差し金と定規 (仏: l’Equerre et la Regle) 」という名前でじょうぎ座の原型となる星座を設けた際にこの星をβ星とし、α星と共に南北に伸びる直定規の北端を成す星とした[5][6]。ラカーユの死後、1763年に刊行された星表Coelum australe stelliferumの星図でもじょうぎ座 (Norma) の直定規の北端を成す星として描かれている[7]。後に、フランシス・ベイリーによってα星と共に無名の星としてさそり座の一部とされ、ベンジャミン・グールドによってさそり座H星 (H Scorpii) とされた[8]。
^Wagman, Morton (2003). Lost Stars: Lost, Missing and Troublesome Stars from the Catalogues of Johannes Bayer, Nicholas Louis de Lacaille, John Flamsteed, and Sundry Others. Blacksburg, Virginia: The McDonald & Woodward Publishing Company. pp. 215-16. ISBN978-0-939923-78-6