いすゞ・ピアッツァ (ISUZU
Piazza)は、1981年 から1994年 [ 1] までいすゞ自動車 とヤナセ が販売していたクーペ 型の小型乗用車 。
初代 JR120/130型(1981年-1991年)
いすゞ・ピアッツァ(初代)JR120/130型
フロント
リア
インテリア
概要 別名
北米:いすゞ・インパルス(初代) 販売期間
1981年 6月 - 1991年 8月 デザイン
イタルデザイン・ジウジアーロ ボディ 乗車定員
4人 ボディタイプ
3ドアハッチバッククーペ エンジン位置
フロント 駆動方式
後輪駆動 パワートレイン エンジン
4ZC1型 2.0L 直4 SOHC ターボ G200WN型 1949cc 直4 DOHC G200ZNS型 2.0L 直4 SOHC 最高出力
4ZC1:150ps/5,400rpm(NET) G200WN:135ps/6,200rpm G200ZNS:120ps/5,800rpm 最大トルク
4ZC1:23kgm/3,400rpm(NET) G200WN:17.0kgm/5,000rpm G200ZNS:16.5kgm/4,000rpm 変速機
4速AT / 5速MT 前
前:ダブルウィッシュボーン/コイルスプリング/スタビライザー付 後:3リンク式/コイルスプリング/スタビライザー付 ※ハンドリングバイロータスは5リンク 後
前:ダブルウィッシュボーン/コイルスプリング/スタビライザー付 後:3リンク式/コイルスプリング/スタビライザー付 ※ハンドリングバイロータスは5リンク 車両寸法 ホイールベース
2,440mm 全長
4,385mm 全幅
1,675mm 全高
1,300mm 車両重量
1,250kg(MT車) その他 最小回転半径
4.8m ブレーキ
前後:ベンチレーテッド・ディスク式 系譜 先代
いすゞ・117クーペ テンプレートを表示
形式名:JR130(NA車)、JR120(ターボ車)
1978年、117クーペ の後継モデルを計画していたいすゞは、イタリアのデザイナー、ジョルジェット・ジウジアーロ にそのデザインを依頼した[ 2] 。ジウジアーロは翌1979年 3月、1970年 台初頭から手がけてきたデザインの”Assoシリーズ”(1973年 「アッソ・ディ・ピッケ(Asso di picche=イタリア語でスペードのA、アウディ80)」、1976年 の「アッソ・ディ・クアードリ(Asso di quadori=ダイヤのA、BMW320)」)の集大成となる「アッソ・ディ・フィオーリ(Asso di fiori=クラブのA)」をジュネーヴショー にデザインカーとして出展[ 3] 。このデザインカーの寸法を拡大し、細部にリファインを加えた「いすゞX」が1979年 の第23回東京モーターショーに出品されたのち、その1年半後の1981年 5月に「ピアッツァ」のネーミングで商品化された[ 4] [ 5] 。
市販化を前提としてデザインされたショーカーといえども、内部機構とのすり合わせや生産性の考慮などの理由により完成時までには相当のスタイル変更を受けるのが一般的であり、オリジナルのイメージをほぼ保ったままでの量産化というピアッツァの試みは世界中から驚きを持って受け止められた。外観デザインはエッジの効いたボンネットと3ドアハッチバックの独特な形状で、ジウジアーロが提案したAssoシリーズの最終作にふさわしい完成度の高さであるとともに、空力が十分に考慮された先進的なものでもあった(Cd値0.36)。ボンネットには、デビュー当時はフェンダーミラー が装着されていたが、1983年の道路運送車両法 の改正に伴いドアミラーに変更された[ 4] 。
エクステリアと同様に、インテリアもショーカーに極めて近く製品化された。サテライト式コクピットは極めて斬新なものであり、デジタルメーター (XES,XEに標準装備)に加えて、ステアリングから手を離さずにエアコン やハザード スイッチ操作など、大抵の操作ができた。右手側にライトスイッチ等11項目、左手側にワイパーなど13項目(XE、OD付AT)の操作項目の操作部が配置されていた。サテライトにはシールが貼られた謎のスイッチがあったがそれはフォグランプのスイッチで、ランプ本体を装着すればオンオフ可能であった。シールを外すとフォグランプのアイコンが現れた。エアコンの吹き出し口のギミックも凝っており、運転席側はフロントウインドー下の部分から12cm程度せり上がり、足元には回転開閉するエアコン吹き出し口がある。また助手席側は噴出し口が横にせり出すなど、コンセプトモデルのマニアックな機構が市販車にも採用された。
装備としては、オートエアコンやマルチドライブモニター(JR130 XES,XE)、低速時には軽くなり高速時時には重みを増す車速感応型操舵力可変パワーステアリング 、パワーウィンドウ等が装備され、安全装備としての後席3点式シートベルトの採用も先進的であった。またウォッシャーノズル内蔵のワンアーム式フロントワイパー などスタイリングを崩さないために専用パーツが多く使用されている。
メカニズム
117クーペ同様のFR方式 で、デビュー時のエンジンは初代ジェミニ (PF系)ZZ用の1.8LDOHC を1.9LにスケールアップしたDOHC(G200WN)と、117クーペ用のSOHC (G200ZNS)を改良したものを搭載した。G200WNは、見掛けの出力は117クーペに搭載されたG200WEと同じだが、エアフローメーター にホットワイヤを採用(世界初)し、クランク 角センサ はフォトダイオード を使用した無接触式(世界初)として、ダイアグノーシス(自己診断)機能を有するECU (世界初)で制御されていた。
当時はエンジンのパワー競争が行われており、最高出力135ps(グロス 値)トルク 17kg-mでは不足とされ、1984年 6月よりアスカ 用エンジン[ 注釈 1] をベースとした2.0L電子制御式ターボ付SOHCをラインナップに追加(1.9L DOHCは受注生産に)、ターボ付モデルは出力180ps[ 注釈 2] 、トルク23kg-mを記録した。
トランスミッション は、5速MT と4速AT で、ATはアイシンワーナー(現:アイシン )がトヨタ 以外に初めて供給した4速ATであった。
シャシ 関連は初代ジェミニと同様にゼネラルモーターズ (GM)のTカー を基にしており、サスペンション は前輪がダブルウィッシュボーン +コイルスプリング、後輪は3リンク リジッド +コイルで、前後輪共にアンチロールバー が付く。ホイール・アライメント は年式・グレードにより細かく異なり、さらに後輪を5リンクリジッドに変更したハンドリングバイロータス仕様も追加設定された。
ステアリングギアボックス は、当初は一部のグレードがバリアブルギアレシオのマニュアルステアリングであったが、後に全車車速感応型パワーステアリング 装備となる。ブレーキは、全車のフロントとターボ車のリヤがベンチレーテッドディスク とされた。トルクウェイトレシオ70kg/kgm、パワーウェイトレシオ は8.8であった。
年表
丸みを帯びたリアスタイル
1.9L DOHCモデル(XG)を受注生産化。
1985年 11月 - 旧西ドイツ のチューナーイルムシャー (irmscher) に足回りのチューニングを依頼したイルムシャーグレードを発売。しなやかな足回りに、ステアリングにMOMO 、シートはレカロ を採用した充実装備、イルムシャーシリーズ専用デザインのフルホイールカバーを装着したスポーティな外観を持っていた。
1987年 - 通商産業省 (現・経済産業省 )グッドデザイン賞 部門別(輸送機器部門)大賞を受賞。
8月 - 一部改良。テールランプの大型化やアルミホイールの意匠変更、コンソール/ステアリングのデザイン変更など。1984年6月より受注生産だった1.9L DOHCを廃止。2.0L版の出力表示をネット化(180ps→150ps、1.9L SOHCはグロス表示(120ps)のまま)。
1988年 6月 - ロータス 社との技術提携により、「ハンドリングバイロータス」 (handling by LOTUS) 仕様を追加。MOMOステアリング、ロータスチューンドサスペンション、英国アームストロングさ製ド・カルボン型ショックアブソーバー、BBS 製2ピースアルミホイール、レカロにも負けないと評された7項目調節機構付リアルバケットシート等を装備。このモデルで国内モデルでは初めてリヤサスペンション形式が変更され、それまでの3リンクから5リンクとなった。1.9L版を廃止し2.0Lターボに一本化。
1990年 - 最後のモデルとして「ハンドリングバイロータスリミテッド」を追加。外観の差はリミテッドのデカールのみであるが、シートが部分皮革仕上げとなり、LSDが標準装備となっている。
1991年 7月[ 6] ー 生産終了。在庫対応分のみの販売となる。
1991年 8月 - 販売終了。総生産台数11万3,419台[ 7] 。
ピアッツァ・ネロ
日本国内におけるピアッツァはヤナセ によっても販売され、その際に冠された名称が「ピアッツァ・ネロ 」(Piazza Nero)である。これは1971年以降、ゼネラルモーターズ (GM)傘下であって国内販売網の拡大を意図したいすゞと、日本におけるGM車の正式な輸入代理店であり、販売車種の拡大を意図したヤナセとの提携の結果であった。
内外装にブラックやピンストライプなど、いすゞ仕様車にはみられないものを用意し差別化が図られていた。その他、ピアッツァの特徴であった異形2灯ヘッドライトは1984年 より輸出型の4灯に変更され、さらに1988年 にはインパルス用のボンネットフードの採用と可動式ヘッドライトカバーの廃止が行われた。
ピアッツァ・ネロ フロント
ピアッツァ・ネロ リア
日本国外での販売
欧米に輸出され、北米市場では「いすゞ・インパルス」(Isuzu Impulse)の名称で販売された。オーストラリア では、同じくGM系の自動車会社ホールデン によって、「ホールデン・ピアッツァ 」(Holden Piazza)として販売された。
2代目 JT221型(1991年-1995年)
二代目モデルもプラットフォーム をジェミニ と共有する。
いすゞは、ゼネラルモーターズ 向けに生産した三代目ジェミニの派生車種「ジオ・ストーム 」をベースに、北米 市場で「いすゞ」ブランドで展開する乗用車として2代目「インパルス」を開発、1990年 より北米で発売する。ストームをベースとして派生モデルを作成することは、同車開発時より考慮されていたことである。インパルスは当初から日本への展開も予定されており、1991年 8月より日本国内向けに仕様を変更して、ニ代目ピアッツァとして販売が開始された。エンジンはジェミニに搭載される4XE1 のボア (80mm)をそのままに、ストローク を延長(79→90mm)した4XF1型を搭載。グレード名の「181XE」や「181XE/S」の“181”とは4XF1の総排気量約1.81L(厳密には1,809cc)を表した。
デザインは「インパルス」、「ピアッツァ」ともに中村史郎 が担当し、スマートな形状のストーム・ジェミニクーペに対して、力強さをアピールし、がっちりとしたフォルムを出すことで差別化を図っている。前後のエアダムスポイラー と可動式ヘッドランプ カバーが外観における特徴となっている。
1994年 12月][ 9] -生産終了。在庫対応分のみの販売となる。
1995年 1月 - 販売終了。 いすゞの乗用車自主生産撤退により、本車がいすゞが開発した最後の乗用車になった。総生産台数はいすゞからは公表されていないが、米Ward's Communications発行のWard's Automotive Yearbook誌[ 10] によると米国販売台数は9,716台、カナダ販売台数は4,579台となっている。なお、日本国内での販売期間中の新車登録台数の累計は2,006台で、トヨタ・セリカ や日産・シルビア 、マツダ・RX-7 など、同クラスに強力なライバルがいたこともあって販売が低迷していた[ 11] 。
機構
駆動方式は前輪駆動 。エンジンは1.8L DOHC の4XF1型で、これはジェミニやロータス・エラン(M100) に搭載された4XE1 型をストロークアップしたものである。変速機構は5MT と4AT 。サスペンション は三代目ジェミニ同様、ストラット式 をベースに後輪には4WS の一種であるニシボリック・サスペンション を装備する。また、ニ代目ピアッツァについては開発過程でロータスが監修しており、生産車すべてが「ハンドリングバイロータス」仕様である。
ピアッツァ・ネロ
先代モデル同様、ヤナセ においてはピアッツァ・ネロとして販売された。いすゞで販売されていたモデルとの差異は小さく、独自のセンターグリルエンブレム・ステッカー類や内装の柄の違い、ボディカラー設定程度であった。ネロは、初代、二代目合計で11,656台が販売された。
なお、ヤナセから販売されたいすゞ車としては他に、三代目ジェミニベースの北米向けクーペであるジオ ・ストームを日本国内向けに変更したPAネロ (ピアッツァ・ネロとは全く別の車種)があった。
日本国外での販売
北米では初代モデルに続いて「インパルス」として販売された。インパルスはフロントバンパー が異なるためピアッツァよりも全長が短く、エンジンはジェミニ用の1.6Lターボ(=4WD)、インパネ もジオ・ストーム(PAネロ )のものと同じで、いすゞ版ジオ・ストームという位置付けであった。国内向けモデルのリヤクロスメンバー がジェミニ4駆モデルと同じなのは、この海外向けモデルの存在と関係する。ストームがベースとなったインパルスでは、この顔をしたハッチバック (2BOX)モデルもラインナップされていた。
また、カナダではGM系ブランド「アスナ 」向けに「アスナ・サンファイア 」として供給されていた。
車名の由来
ピアッツァとはイタリア語 で「広場 」の意味で、そのひろがりのある価値が、1980年代の車社会を先導する広場となるよう命名されている。 ピアッツァネロ(ヤナセ販売)のネロとはイタリア語の「黒」で、高級・スポーティーなイメージを表す。
その他
歴代のいすゞ製乗用車のなかで、ディーゼルエンジン 搭載モデルが存在しないのは、本車とSUVのビークロス のみである。
かつて、いすゞ中古自動車販売(現・いすゞユーマックス )は中古のピアッツァの部品を一部換装したうえで、「ムシャブルイ(武者震い、Mscher Blue)」というネーミングで発売していた。
脚注
注釈
^ アスカ用は横置き 。
^ グロス値。1987年8月にネット 値に換算され150psとなる
出典
関連項目
外部リンク
^ デアゴスティーニジャパン 週刊日本の名車第2号25ページより。