LESSON 1
『LESSON 1』(レッスン・ワン)は、日本のロックバンドであるRED WARRIORSの1枚目のオリジナル・アルバム。 1986年10月10日に日本コロムビアのBODYレーベルからリリースされた。レベッカを脱退した木暮武彦を中心に結成された前身バンド「レベッカ♂」から改名された「RED WARRIORS」のファーストアルバムであり、作詞および作曲はダイアモンド☆ユカイおよび木暮が担当、プロデュースは日本コロムビア所属の宗清裕之が担当している。 レコーディングは日本国内で行われたが、レコーディング・エンジニアとしてベルリン出身のマイケル・ツィマリングが参加している。本作はレベッカにおける音楽の方向性と決別した木暮による「ブルージーな洋楽のロックをオリジナルでやりたい」という欲求から楽曲が制作されている。本作はオリコンアルバムチャートにおいて最高位第20位となった他、後にシングルとして「OUTSIDER」がリカットされた。 背景中学生時代に友人が置き忘れていったビートルズのアルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』(1963年)の収録曲「ツイスト・アンド・シャウト」を聴き感銘を受けたダイアモンド☆ユカイは、翌日には楽器店でガット・ギターを購入する[3]。高校に進学したユカイは同級生からの影響によりエリック・クラプトン、クリーム、ザ・フー、ザ・ブルースブレイカーズ、ローリング・ストーンズなどを愛聴するようになり、さらに同級生とともにバンドを結成し音楽活動に明け暮れる高校生活となった[4]。大学に進学したユカイは高校時代の同級生とともに「ホンキートンク・R&R・バンド」を結成、ライブではビールやウイスキーを飲んだ勢いでシャウトすることや割ったビール瓶を客先に投げ込むなどの行為によってアマチュア界では一部で知名度を得ることとなった[5]。一方で木暮武彦は小学生時代に訪れた従兄弟の家でショッキング・ブルーの「悲しき鉄道員」(1970年)を聴いてロックに目覚め、従兄弟からの影響でカーペンターズ、サイモン&ガーファンクル、チェイス、スリー・ドッグ・ナイトなどを愛聴するようになる[6]。その後中学生時代にラジオの深夜放送で聴いたレッド・ツェッペリンの「移民の歌」(1970年)を聴いて衝撃を受け、さらに小学生時代からの友人がエレクトリック・ギターを購入し木暮の目前で演奏したことがきっかけとなり、木暮自身もエレクトリック・ギターを購入することとなる[7]。木暮は中学3年で初めてバンドを結成することになり、その当時の憧れの対象はT・レックス所属のマーク・ボランであった[8]。大学へ進学した木暮であったが、20歳の時に決意し大学を中退、本格的にバンド活動を開始することとなった[9]。 埼玉県内で行われたアマチュア・バンドが集結するライブにおいて、ユカイは初めて木暮と遭遇する[10]。ユカイは初対面の木暮に対して「とにかく派手な奴」という印象を抱き[10]、木暮はユカイのボーカルに対して「ちょっとコイツの歌でギター弾いてみたいな」という印象を持ったとそれぞれ述べている[11]。「ホンキートンク・R&R・バンド」の演奏が終わると、木暮はユカイに対して「歌、いいじゃん」と話しかけ、「最後にセッションやんない?」と提案、予定外のセッションとしてチャック・ベリーの「ジョニー・B.グッド」(1958年)を演奏[12]。その後「ホンキートンク・R&R・バンド」を解散したユカイは木暮が所属するバンドの練習に参加するも「俺、結婚しようと思ってるから、やっぱやめるわ」と告げバンドには参加しなかった[13][14]。当時のユカイは将来の進路を巡って真面目な父親と頻繁に口論となっており、父親の後を追い公務員になることも検討していたという[15]。ユカイにバンド参加を断られた木暮はNOKKOたちとともにレベッカを結成[16][17]、一方でユカイは新しいバンドとして「ハイボルテージ」を結成したが[18]、その後もユカイは結婚するそぶりも見せないまま度々木暮の元を訪れていた[18][19]。 レベッカのアルバム『VOICE PRINT』(1984年)でメジャー・デビューを果たした木暮であったが、自らが結成したバンドが全く趣向の異なる活動へと変化していくことに耐え切れず、2枚目のアルバム『Nothing To Lose』(1984年)のレコーディング終了後にはノイローゼ状態となり、結果として木暮とドラマーであった小沼達也は1985年1月31日の梅田バナナホール公演を最後にレベッカを脱退することとなった[20]。その後再びバンド結成の提案を木暮から持ち掛けられたユカイは、THE STREET SLIDERSやHOUND DOG、尾崎豊のローディーを担当していた小川清史をベース担当として勧誘し[21]、また木暮とともにレベッカを脱退した小沼が加入したことで4名でバンドを結成することとなった[22]。バンド名はレベッカに対抗する意味をこめ、また「レベッカ」というバンド名がシンコーミュージックの権利下にあったため木暮によって「レベッカ♂」と命名された[23]。結成当初はライブにおいてレベッカの楽曲をアレンジを変えて演奏していたこともあり、聴衆もレベッカのファンが多数を占めていたものの半年後にはメンバー間で疑問が提起されるようになり、また聴衆も減り始めたことからバンド名をメンバー全員が愛好していた映画『ウォリアーズ』(1979年)に因んで「RED WARRIORS」へと変更されることになった[24]。 録音、制作本作のプロデューサーは日本コロムビア所属の宗清裕之が担当している。宗清は本作以前にLOUDNESSのレコーディングに携わっており、また後年THE YELLOW MONKEYのレコーディングを手掛けている[25][26]。1986年6月には本作のレコーディングが納得できる形で決定して息巻いていたメンバーとは対照的に、ユカイは交際していた女性と破局を迎えたことから「どん底まっ暗闇の頃」であったと述べている[27]。同年6月12日から14日にかけて行われたshibuya eggmanの3日間連続公演において、当時誕生日を迎えていたユカイの彼女は公演を見に訪れていたが、「BIRTHDAY SONG」を歌ったものの彼女の反応はなくそのまま別れる形となった[28]。この当時のユカイは1年ほど女性と交際することができず、次作『CASINO DRIVE』(1987年)の頃までは「酒飲みまくって、女ナンパしまくって、そんなことやってる間に、死んでしまえばいいって思ってた」と述べるなど自堕落な生活を送っており、その中でもロックンロールだけが救いであったために日本一のロックンロール・バンドになるという目標は諦めていなかったと述べている[29]。 本作のレコーディングにおいて最初に歌入れが行われた曲は「BIRTHDAY SONG」であった[30]。しかし彼女と破局したばかりのユカイは涙が出てしまいまともに歌うことが出来なかったという[30]。また1985年3月27日にユカイの父親が他界しており[31]、恋人と親を同時期に失ったユカイは死を意識していたと述べている[32]。 その他に、次作『CASINO DRIVE』(1987年)に収録された「MONKEY DANCIN'」は本作制作時においてもレコーディングされたが、演奏面に不満があったため収録が見送られた[33]。また、デビュー以前にライブにおいて「Rock'n'Roll」という仮タイトルで頻繁に演奏されていた曲は「Oh, My God」というタイトルで本作制作時に正式にレコーディングされたがお蔵入りとなり未発表曲となった[33]。お蔵入りになった理由は宗清もメンバーもまったく思い出せないと述べている[33]。「Oh, My God」は解散後にリリースされた2枚組ベスト・アルバム『RED SONGS』(1989年)に収録された。 楽曲と音楽性
リリース、アートワーク、チャート成績本作は1986年10月10日に日本コロムビアのBODYレーベルからLP、CD、CTの3形態でリリースされた。同年12月10日には本作から「OUTSIDER」がリカットシングルとしてリリースされた。本作およびシングルのジャケットは女性の裸体にタイトルが描かれているものになっているが、これに関してユカイは当時所属していた事務所であるマザーエンタープライズが芸能界のルールを無視していたことも影響したと述べ、本来であれば許されないことであったとも述べている[39]。本作のLP盤はオリコンアルバムチャートにて最高位第20位の登場週数7回で、売り上げ枚数は1.7万枚となった[2]。 本作は1993年10月21日にCDのみ「CD文庫1500シリーズ」として廉価版が再リリースされた。2007年4月4日には5枚組CD+5枚組DVDのボックス・セット『Lesson 20 -RED WARRIORS 20th Anniversary Box-』に収録される形でデジタル・リマスタリング盤として再リリースされた[40][41]。その後も2009年8月24日にはオンデマンドCDとして、2012年7月4日にはタワーレコード限定で再リリースされた[42]。 その他、セルフカバー・アルバム『Re:Works』(2001年)において、「SHOCK ME」「OUTSIDER」「BLACK JACK WOMAN」「WILD CHERRY」の4曲が再レコーディングされて収録された。 批評
批評家たちからは本作の音楽性に対して肯定的な意見が挙げられており、音楽情報サイト『CDジャーナル』および音楽情報サイト『TOWER RECORDS ONLINE』では元レベッカ所属の木暮が結成したバンドであることに触れた上で、『CDジャーナル』では「セックス・ピストルズとクラッシュを足して2で割ったような粗削りでストレートなロックが刺激的」と肯定的に評価[43]、『TOWER RECORDS ONLINE』では「ゴージャスでストレートなロックがわかりやすい」と肯定的に評価[1]、また同サイトでは男のロック魂が青春や不良であると主張した上で、「バカと正気の紙一重であることをこの作品は教えてくれる」と総括した[1]。 収録曲
スタッフ・クレジット
RED WARRIORS
参加ミュージシャン録音スタッフ
制作スタッフ
美術スタッフ
その他スタッフ
チャート
リリース日一覧
脚注
参考文献
外部リンク
|