H.O.T. (エイチオーティー、朝 : 에이치오티 )は、韓国 の男性5人組アイドルグループ 。韓国アイドル界第1世代。エスエム・エンタテインメント で出した最初のアイドルグループである。
グループ名は“High-five Of Teenagers”(ハイファイブ・オブ・ティーンエイジャー)の略で、「10代の勝利」という意味が込められている[ 2] 。ファンからは「エチョティ」(에쵸티 )とも呼ばれている[ 3] 。1996年のデビューから2001年の解散まで韓国で圧倒的な人気を誇り、韓国アイドル 界の歴史を変えたとも言われている。
ファンクラブの名称やファンの総称は『CLUB H.O.T.』。公式応援カラーは白。
来歴
ティーンエイジャーがそれまでの世代とは異なる高い消費力で、新たに韓国のポップカルチャーを担うようになっていた1994年に、彼らの取り込みを目論んだ韓国の芸能プロダクションSMエンタテインメント (以下「SM」)によって「10代の代弁者」として企画され、1年の選抜期間を経て1995年[ 4] に結成[ 5] [ 6] [ 7] [ 8] 。
1996年 に、韓国音楽界にラップとダンスを浸透させ、10代に圧倒的な人気を誇りながらも突如として解散したソテジワアイドゥル と入れ替わるようにデビューした[ 6] 。
当時の韓国では自己の音楽的アイデンティティーを反映させるのではなく、芸能プロダクション等他者がつくったコンセプトに基づいて結成され活動をする大量消費を前提としたアイドルグループというのは珍しかったが[ 9] 、「1318世代」(13歳から18歳までの若年層)の女性らから熱狂的な人気を獲得して、第2のH.O.T.を狙ってデビューしたSechs Kies などのアイドルグループとともに、韓国ポップス界をアイドル中心に一変させる一大ブームを巻き起こした[ 6] [ 10] 。
その後、のちにSMP (SMミュージック・パフォーマンス)とも呼ばれる、社会問題をテーマにした歌詞にラップコア 調の曲と派手なダンスを融合させた独特のスタイルを確立する一方[ 11] 、1998年 にリリースした3集からは、メンバーらが直接楽曲制作に携わり[ 12] 、2000年 の5集ではリード曲も含め全曲の作詞・作曲・編曲を手掛けるなど[ 13] 、次第に他のアイドルグループとは異なる「独自性」をコンセプトとして打ち出したマーケティングにシフト転換した。
1998年からは中国 本土でのマーケティングにも注力し、2000年に北京 公演を成功。若年層に韓流 という形で韓国ポップスを中国国内に浸透させた[ 14] [ 11] [ 15] 。韓国国外でも一部のマニアファン層が存在し、日本ではデビューしていなかったが定期的に来日してファンクラブなどのイベントを行っており、2001年にはavex からオリジナルアルバム(日本盤)も発売した。
しかしメンバーが全員20代になり、大学卒業による兵役 の延長が難しくなったことから、次第に「人気があるうちに解散するのでは」との憶測が囁かれ始めた。[ 16] [ 17] [ 18] 。
2000年11月にメンバーが飲酒運転により摘発されたことを受けて活動を自粛。
2001年2月27日に開催された単独コンサートにて解散説を否定したが、2001年4月にSMとの専属契約が満了したトニー・アン、チャン・ウヒョク 、イ・ジェウォンの3人が翌5月、元SM社長[ 19] のチョン・ヘイクが理事を務めるエンターテインメント企業「サイダス」(後のサイダスFNHとiHQ)と当時同系列であった「イェジョン・メディア」に移籍し[ 20] 、同年6月、契約が残っていたカンタ とムン・ヒジュン がソロ歌手として、SMと再契約を結んだため、事実上解散を迎えた[ 21] 。
移籍した3人は、2001年末に新たなグループjtL を結成[ 22] 。当初、活躍が疑問視されていたが、アルバムは50万枚を超えるヒットとなった。[ 23] 。しかし2004年から2005年にかけてメンバーの独立や移籍により[ 24] [ 25] [ 26] 自然消滅の状態となった[ 27] 。
2018年1月29日に韓国の地上波局MBCがバラエティ番組「無限挑戦」の旧正月特番『土曜日、土曜日は歌手だ(토토가)シーズン3』にて再結成、2月15日にMBCドリームセンター公開ホールにて再結成ライブを行うことを発表。応募者が応募開始1日で当初の予想を遥かに超える10万人を突破したため、会場をソウルオリンピック公園内オリンピックホールに急遽変更した。
2018年2月15日 上記再結成公演が開催された。
2018年10月13日-14日の両日、蚕室オリンピック総合運動場ソウルオリンピック主競技場 にて17年振りとなる単独コンサートを開催。
メンバー
ムン・ヒジュン (文熙畯、문희준 )
ボーカル担当、リーダー。1978年 3月14日 生まれ、ソウル市出身。IOKカンパニー所属。京畿大学校 大学院多重媒体映像学科修士課程修了[ 28] 。2005年11月陸軍入隊。2007年11月転役。ソロ歌手、MC等テレビタレントとしても活動。2017年にCRAYON POP のソユルと結婚、2児の父[ 29] 。
チャン・ウヒョク (張佑赫、장우혁 )
ラップ担当。1978年 5月8日 生まれ、韓国慶尚北道 亀尾市 出身。WHエンターテイメント所属。世宗大学校 大学院体育学科修士課程修了[ 30] 。2005年 、イェジョン・メディア からスポンジ・エンターテインメント に移籍[ 24] 。2007年11月に公益勤務要員として召集、国民年金管理公団で服務した。[ 31] 。2009年11月召集解除。ソロ歌手と並行して芸能事務所WHエンターテイメントを経営し、後進アイドルを育成している。
トニー・アン(토니 안 、Tony An)
ボーカル・ラップ担当。本名はアン・スンホ(安勝浩、안승호 )。1978年 6月7日 生まれ、韓国ソウル市出身。IOKカンパニー所属。2004年、芸能プロダクション「TNエンターテインメント(現:TNネイションエンターテインメント)」を設立して元アイドルの女優チョン・リョウォン やコメディアンのチョ・ヘリョン などをスターダムに押し上げる傍ら、「スクールルックス」(Skoolooks) 社を立ち上げて学生服事業に参入し、財閥系ブランドが大半のシェアを占めるなか同社を大手にまで育て上げた[ 25] [ 注釈 1] 。2008年11月、兵役により陸軍に現役入隊し、国防部 勤務支援団広報支援隊に配属[ 31] 。「芸能兵士」として国軍放送FMと国軍放送TVで番組を受け持った[ 32] 。2010年9月転役。兵役時に親しくなったかつてはライバル関係にあったSechs Kies のキム・ジェドクとルームメイトとして長年生活している。[ 33] ソロ歌手、テレビタレントとしても活動。
カンタ (강타 )
メインボーカル担当。本名はアン・チリョン(安七炫、안칠현 )。1979年 10月10日 生まれ、韓国ソウル市 出身。SMエンタテインメント所属。東国大学校 文化芸術大学院公演映像学科修士課程修了[ 28] 。2008年4月陸軍入隊。2010年2月転役。ソロ歌手としても活動。
イ・ジェウォン(李在元、이재원 )
ラップ担当。1980年 4月5日 生まれ、韓国ソウル市出身。IOKカンパニー所属。祥明大学校 デジタルメディア大学院修士課程修了[ 34] [ 35] 。2005年、イェジョン・メディアからアイピム・エンターテインメント に移籍し、ソロ活動を開始[ 26] [ 36] 。その後無所属となり[ 37] 、2009年5月、兵役により陸軍に現役入隊した[ 31] 。2011年3月7日転役。ソロ歌手、ミュージカル俳優、クラブDJとしても活動。
年表
1996年
9月 - 1stアルバム(1集)『We Hate All Kinds Of Violence...』を発売。本作からは「戦士の末裔」「キャンディ」が韓国内でヒット。
12月8日 - 大韓民国映像音盤大賞 ゴールデンディスク部門「SKC新人歌手賞」を受賞[ 38] 。
1997年
7月 - 2ndアルバム(2集)『Wolf & Sheep』を発売。「狼と羊」「幸福」「ウィ・アー・ザ・フューチャー」が韓国内でヒット。
9月21日 - 韓国ソウルのオリンピック公園 第1体育館(体操競技場)で公式ファンクラブ「Club H.O.T.」の結成式を開催。
12月4日 - ソウル歌謡大賞「今年の最高歌手賞」(大賞)を受賞[ 39] 。
12月14日 - 大韓民国映像音盤大賞ゴールデンディスク賞「大賞」[ 40] 、KMTV歌謡大典「大賞」を受賞[ 41] 。
12月28日 - SBS歌謡大典「大賞」を受賞[ 41] 。
1998年
1999年
2000年
2001年
2月27日 - 蚕室総合運動場オリンピック主競技場で単独公演を開催(積雪による会場の屋根崩壊で中止となった同月23日から同月27日のオリンピック公園第1体育館(体操競技場)公演の代替公演[ 59] )。ムン・ヒジュンがステージ上で解散説に触れ、これを否定[ 60] 。
3月4日 - トニー・アン、専属契約が満了[ 61] 。
4月1日 - イ・ジェウォン、専属契約が満了[ 61] 。
4月25日 - チャン・ウヒョク、専属契約が満了[ 61] 。
5月13日 - トニー・アン、イ・ジェウォン、チャン・ウヒョクが記者会見の場で、同月11日付のイェジョン・メディアへの移籍と新グループ結成の計画を発表[ 20] 。H.O.T.は分裂状態に。
6月27日 - カンタ、ムン・ヒジュンが記者会見を開催し、SMエンタテインメントとの再契約締結を発表[ 21] 。明確な解散宣言がないまま、H.O.T.は事実上解散へ。
2018年
1月29日 - MBCのバラエティ番組「無限挑戦」の特番にて再結成公演が行われることがMBCより発表される。
2月15日 - ソウルオリンピック公園オリンピックホールにて再結成公演開催(抽選による観客2400人を動員)。その模様は2月24日の「無限挑戦」旧正月特番『土曜日、土曜日は歌手だ(토토가)シーズン3』にて放送された。
10月13日 -10月14日 蚕室オリンピック総合運動場ソウルオリンピック主競技場 にて17年振りのコンサート「Forever Highfive Of Teenagers」を開催。2日間で8万人動員。
2019年
9月20日-22日- ソウル高尺スカイドーム にて「2019 High-five Of Teenagers(2019 하이-파이브 오브 틴에이저스)」を開催。
エピソード
メンバーの入れ替え
SM の創設者であるイ・スマン が当初、プエルトリコ のメヌード の卒業システムからヒントを得て、グループ名に「ティーンエイジャー 」という言葉が使われていることからも分かるように、もともとは「10代による10代のためのグループ」であり、10代でなくなったメンバーは入れ替えられる予定であった[ 62] 。しかし、予想以上に人気が出てしまいSMエンタテインメント はその計画を取り止め、結果的に解散までメンバーの交代は行われなかった[ 62] 。
風船の色
韓国ではアイドルのファンクラブごとに色を定め、その色の風船などを用いて応援するスタイルが定着しているが、これは元々H.O.T.のファンクラブがシンボル・カラーを白にして、白い風船を応援道具に用いたことに由来する[ 63] 。この応援カラーには他の歌手のファンクラブと重複しないという不文律があるものの、色には限りがあるため同色を選んだファンクラブ同士で諍いが起こることが多く、H.O.T.のファンも2006年、男性歌手ピ のファンらが既定の銀色ではなく白く光っているように見えるケミカルライト (サイリューム)を使ったことから、50人以上がピの所属事務所に押し掛けてそのケミカルライトの使用を止めるよう要請したことがある[ 64] 。
茶髪で出入り禁止
韓国の公共放送局KBS は青少年に悪影響を与えるとして1997年に服装規定を設けて、出演者の衣装や髪型などに対する規制を開始したことから、H.O.T.は仕方なく、2集や3集の活動時はバンダナやキャップで茶髪 や染色 した髪を隠したが[ 65] [ 66] 、長い髪に濃いメイク、そして黒尽くめの衣装と日本のビジュアル系 ロックバンド(GLAY など)の影響を受けたと思われる姿でイメージ・チェンジを図った4集の際は[ 67] 何も被らずに出演しようとしたため、KBSから出演許可が出ず、同局でのプロモーション活動が一切できなかった[ 68] 。それでもKBS側は年末のKBS歌謡大賞だけでも出てもらおうと局長級のプロデューサーまで駆り出してSMエンタテインメントやリーダーのムン・ヒジュンと掛け合ったものの、ムンがKBSにおもねっていると思われることを嫌って出演を固辞したことから、前年獲得した同大賞の候補者からも除外された[ 68] 。
解散の真相
解散は、トニー・アン、イ・ジェウォン、チャン・ウヒョクの3人が将来に不安を抱いていたことに加え[ 20] 、SMエンタテインメントとの金銭的条件が合わなかったこと[ 注釈 2] が原因だと言われている[ 71] 。ただどちらが解散の引き金を引いたのかについては双方の説明に相違があり、3人は移籍会見の時、2001年1月にはすでにSMから「解散通知」を受け取っていたと語り、SM側はこれを否定して、H.O.T.の中国での人気を重視していたことから解散の意思はなく[ 72] 、移籍先の親会社が株価釣り上げのため[ 注釈 3] SMのスタッフを引き抜いた上で契約の切れた3人を奪取したものであって[ 80] 、逆に3人からはそれぞれ契約満了時に「解約通知」が送られてきたと反論している[ 81] 。
いずれにしてもメンバーらは、この件に関して月日を重ねても多くを語ろうとしないため、真相は明らかとなっていない[ 82] 。
実現寸前だった再結成(-2017年)
メンバーらは決して仲違いしているわけではなく、解散後もH.O.T.の歌を披露することはないものの、数度イベントやコンサートで一堂に会している[ 83] [ 84] 。ただ再結成については、メンバーらは会うたびに話し合い[ 85] 、解散2年後の2003年には中国での韓流を盛り上げるため、SMエンタテインメントのオーナーでプロデューサーでもあるイ・スマンの音頭で実現寸前までいったが、復活を目前にして多額のCM契約金が目当てと勘繰られ兼ねない報道が出たことから、誤解を避けるため見送られてしまい[ 82] [ 86] 、その後もたびたび話題には上るものの2017年まで実現には至らなかった。
ディスコグラフィー
オリジナル・アルバム
We Hate All Kinds Of Violence... (1996年9月)
1集。活動曲(シングルの代わりとしてアルバムのプロモーション活動に使用する曲)は「戦士の末裔」(チョンサエ フイェ、Descent of Warrior)と「キャンディ」(Candy)。リード曲は校内暴力がテーマの「戦士の末裔」であったが、メロディーがサイプレス・ヒル の「ロコトス」(Locotes) と「エイント・ゴーイン・アウト・ライク・ザット」(I Ain't Goin' Out Like That) に酷似していると指摘されたため、急遽活動曲を愛らしさを前面に出した「キャンディ」に切り替えた[ 87] [ 88] 。
Wolf & Sheep (1997年7月)
2集。活動曲は「狼と羊」(ヌッテワ ヤン、Wolf & Sheep)、「幸福」(ヘンボク、Full of Happiness)、「ウィ・アー・ザ・フューチャー」(We are the future)。リード曲の「狼と羊」はサビで「乞食野郎(빌어먹을 )」(「くそったれ」程度の憎まれ口)という言葉が使われていたが、韓国の放送局から放送不可判定を受けたため、放送ではその箇所が修正されたクリーン・バージョンが使用された[ 89] 。日本盤には、その修正済のものが収録されている[要出典 ] 。「ウィ・アー・ザ・フューチャー」(We are the future)は大人世代への挑戦と抵抗を訴える。
RESURRECTION (1998年9月)
3集。活動曲は「列を合わせろ」(ヨルマッチョ、Line Up!)と「光」(ピッ、Hope)。リード曲の「列を合わせろ」は前作の「ウィ・アー・ザ・フューチャー」で原型が出来上がっていたSMPの完成形だが、発表当時レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン の「キリング・イン・ザ・ネーム 」(Killing In The Name) の盗作ではないかとして論議を呼んだ[ 11] 。ただ、この事実を把握していたレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンのメンバーらは、このことをライブで笑い話として取り上げるだけで、特に問題にすることはなかった[ 90] 。
I yah! (1999年9月)
4集。活動曲は「アイヤ!」(I yah!)、「闘志」(トゥジ、Git It Up!)、「歓喜」(ファニ、It's Been Raining Since You Left Me)。「アイヤ!」(I yah!)は青少年修練施設「シーランド修練院 」で起きた火災事故の犠牲者への追悼がテーマとなっている。このほか、本作には「コリアン・プライド」(Korean Pride) や「8.15」という曲が収録されるなど愛国的 なイデオロギー が見受けられる。また、ところどころある放送禁止用語 の部分がピー音 で消されている。
Outside Castle They are nothing different with us. (2000年10月)
5集。売り上げは90万枚弱で、1集から続いていたミリオンセラー記録が途切れた[ 6] [ 91] 。活動曲は「アウトサイド・キャッスル(ザ・キャッスル・アウトサイダーズ)」(Outside Castle (The Castle Outsiders)) と「そう!そのように!」(クレ!クロッケ!、We can do it)。作曲・作詞・編曲は全てメンバーが手掛けた。ムン・ヒジュンがつくったリード曲「アウトサイド・キャッスル」は、偏見の目に晒されている障害者がテーマになっている[ 92] 。カンタが手掛けた2曲目(後続曲)の「そう!そのように!」は、プロモーションの途中でメンバーが不祥事を起こして(具体的にはカンタの飲酒運転)活動中断に追い込まれた上、これに伴って所属先がテレビ局に音楽番組のチャートから除外するよう求めたことから活動曲としてはほとんど使われなかった[ 58] [ 93] 。
ライブ・アルバム
Greatest H.O.T. Hits-song Collection Live Album (1999年4月)
99 Live In Seoul (2000年1月)
H.O.T. Forever H.O.T. Live Concert in Seoul Olympic Stadium (2001年4月)
ベスト・アルバム
H.O.T. (1999年2月) - 台湾限定盤。
The Best (2002年1月) - 日本限定盤。オリジナル・アルバムと同じくavex trax レーベルからの発売。
その他
Age Of Peace (2000年7月) - 主演映画『平和の時代』(Age of Peace) のサウンドトラック。
受賞歴
年度
受賞内容
1996年
大韓民国映像音盤大賞(現・ゴールデンディスク賞 ) 「SKC新人賞」
KMTV歌謡大典「人気歌手賞」「視聴者賞」
SBS歌謡大典「新人賞」
1997年
ソウル歌謡大賞 「本賞」「大賞」
大韓民国映像音盤大賞(現・ゴールデンディスク賞 ) 「大賞」
KMTV歌謡大典「本賞」「ARS最高人気賞」「大賞」
KBS歌謡大賞「今年の人気歌手賞」「10大歌手賞」「大賞」
SBS歌謡大典「10大歌手賞」「大賞」
MBC歌謡大祭典「大賞」
1998年
MBC『ショー!土曜特急』光復節特集「最高人気歌手賞」
大韓民国映像音盤大賞(現・ゴールデンディスク賞 ) 「本賞」
KMTV歌謡大典「本賞」「ARS最高人気賞」「大賞」
韓国経済消費者大賞「アルバム部門」
ソウル歌謡大賞 「本賞」「大賞」[ 94]
SBS歌謡大典「10大歌手賞」「大賞」
KBS歌謡大賞「青少年部門今年の歌手賞」「大賞」
MBC韓国歌謡大祭典「30歳未満の国民が選んだ人気歌手賞」「30歳以上の国民が選んだ人気歌手賞」「全国民が選んだ人気歌手賞」「大賞」
1999年
大韓民国芸能芸術賞「男性部門青少年推薦歌手賞」「大賞」
MTV ビデオミュージックアワード「Korean Viewers Choice」
M-net アジアンミュージックアワード「最高人気ミュージックビデオ賞「大賞」「グループ部門最優秀ミュージックビデオ賞」
コリアベストドレッサースワンアワード「男性歌手部門」
KMTV歌謡大典「本賞」「今年の歌賞」「ダンス部門」「「ARS最高人気賞」
文化観光部長官表彰 先行芸能人
ソウル歌謡大賞 「本賞」
大韓民国映像音盤大賞(現・ゴールデンディスク賞 ) 「本賞」
MBC韓国歌謡大祭典「30歳未満の国民が選んだ人気歌手賞」
2000年
M-net アジアンミュージックアワード「最高人気ミュージックビデオ賞「大賞」
KMTV歌謡大典「本賞」「ネチズン最高人気賞」
MBC韓国歌謡大祭典「30歳未満の国民が選んだ人気歌手賞」
2008年
M-net アジアンミュージックアワード 「10周年Remember 1999」
歌謡プログラム1位
年度
受賞歴
1996年
キャンディ(캔디)
12月15日 SBS「TV歌謡20」1位
12月22日 SBS「TV歌謡20」1位
12月28日 MBC「人気歌謡ベスト50」1位
1997年
キャンディ(캔디)
1月4日 MBC「人気歌謡ベスト50」1位
1月5日 SBS「TV歌謡20」1位
1月8日 KBS「歌謡トップテン」1位
1月11日 MBC「人気歌謡ベスト50」1位(3週連続)(BEST OF BEST)
1月12日 SBS「TV歌謡20」1位
1月19日 SBS「TV歌謡20」1位(王中の王、5週連続)
1月15日 KBS「歌謡トップテン」1位(2週連続)
幸福(행복)
8月23日 MBC「人気歌謡ベスト50」1位
8月30日 MBC「人気歌謡ベスト50」1位
8月31日 SBS「TV歌謡20」1位
9月6日 MBC「人気歌謡ベスト50」1位(3週連続)(BEST OF BEST)
9月7日 SBS「TV歌謡20」1位
9月14日 SBS「TV歌謡20」1位
9月17日 KBS「歌謡トップテン」1位
9月21日 SBS「TV歌謡20」1位
9月24日 KBS「歌謡トップテン」1位
9月28日 SBS「TV歌謡20」1位(王中の王、5週連続)
10月1日 KBS「歌謡トップテン」1位(3週連続)
We Are The Future
11月9日 SBS「TV歌謡20」1位
11月16日 SBS「TV歌謡20」1位
11月22日 MBC「人気歌謡ベスト50」1位
11月23日 SBS「TV歌謡20」1位
11月30日 SBS「TV歌謡20」1位(ワンジュンワン)
12月13日 MBC「人気歌謡ベスト50」1位
12月20日 MBC「人気歌謡ベスト50」1位(3週連続)(BEST OF BEST)
1998年
10月18日 SBS「人気歌謡」1位
10月24日 MBC「音楽キャンプ」1位
10月31日 MBC「音楽キャンプ」1位(3週連続)(BEST OF BEST)
11月8日 SBS「人気歌謡」1位(通算2週間)
光(빛)
11月28日 MBC「音楽キャンプ」1位
11月29日 SBS「人気歌謡」1位
12月1日 KBS「ミュージックバンク」MVP
12月5日 MBC「音楽キャンプ」1位
12月6日 SBS「人気歌謡」1位
12月12日 MBC「音楽キャンプ」1位(3週連続)(BEST OF BEST)
12月13日 SBS「人気歌謡」1位(トリプルクラウン)
12月15日 KBS「ミュージックバンク」MVP
12月22日 KBS「ミュージックバンク」(MVP通算3週))
1999年
I Yah!
10月3日 SBS「人気歌謡」1位
10月10日 SBS「人気歌謡」1位
10月24日 SBS「人気歌謡」1位(トリプルクラウン)
2000年
Outside Castle
10月22日 SBS「人気歌謡」1位
10月28日 MBC「音楽キャンプ」1位
10月29日 SBS「人気歌謡」1位
11月4日 MBC「音楽キャンプ」1位
11月5日 SBS「人気歌謡」1位(トリプルクラウン)
11月9日 KBS「ミュージックバンク」1位
11月11日 MBC「音楽キャンプ」1位(3週連続)(King of the Camp)
11月16日 KBS「ミュージックバンク」1位
11月23日 KBS「ミュージックバンク」1位(3週連続))
出演
脚注
注釈
^ スクールルックスを除く韓国の大手学生服メーカー3社のうち、アイビークラブ はサムスングループ の第一毛織から分社、エリートベーシック はサムスングループの第一合繊から新韓グループに移り「新韓」と社名変更した後分社、「スマート」ブランドのSKネットワークス はSKグループ の系列と、いずれも財閥系ないし旧財閥系の企業である。
^ 解散当時、1人に付き1枚当たり20ウォンというH.O.Tの歌唱印税 が余りに少なすぎるとして大きな話題を集めたが、これは1組当たりなら100ウォンという韓国では珍しくない額であり[ 69] 、また韓国の音楽界は当時から売上が損益分岐点を超えないと支払われないことも多かったため、実際は必ずしも少ないとは言いがたいものであった[ 70] 。その上、芸能界の構造が酷似している隣国の日本と比べても、1組当たり単価の1%(当時韓国でのアルバムの単価は10,000ウォン程度)という歌唱印税は遜色ない額であった[ 70] 。
^ 3人が移籍したレコード会社「イェジョン・メディア」の当時の親会社「ローカス・ホールディングス」(以下「ローカスHD」)は、元は「コアテック・システム」という変圧器の鉄心を製造する会社であったが[ 73] 、2000年3月に「サイダス」を設立した[ 74] 情報通信関連企業「ローカス」の代表理事が同年8月に筆頭株主になってからは娯楽企業へと変貌し、移籍2か月前の2001年3月にはイェジョン・メディアやカン・ウソク 率いる韓国最大手の映画配給会社「シネマ・サービス」を立て続けに買収して[ 75] [ 76] 株価を急騰させていた[ 77] 。そして、移籍の数か月後にはローカスの代表理事がローカスHDの株式をローカスに買わせ、ローカスはそれをすぐに売却して300億ウォンの利益を上げるなどしていたことから、当時から投機目的の経営なのではとの指摘が多かったが[ 77] 、実はこの裏でローカスが事業の悪化で総額530億ウォンもの粉飾決算を続けていたことが2005年になって発覚し[ 78] 、ローカスの代表理事は翌2006年、横領や背任などの疑いで検察当局に逮捕されている[ 79] 。
出典
^ “H.O.T., Pioneering K-Pop Group, Announce First Concert in 17 Years” . Billboard . https://www.billboard.com/articles/columns/k-town/8470243/k-pop-hot-first-concert-17-years 2021年6月15日 閲覧。
^ “[윤PD의 연예시대(1)]HOT, god, 동방신기...스타 이름에 얽힌 숨겨진 사연 ” (朝鮮語). 이데일리 SPN(イーデイリーSPN) . イーデイリー (2008年3月31日). 2009年10月27日 閲覧。
^ 「`에쵸티' 이름값 쏠쏠(H.O.T) / 엘지에 음료상표로 빌려줘 」『한겨레 (ハンギョレ)』1999年4月1日、4版、7面。
^ a b “H.O.T 활동일지 ” (朝鮮語). 한국아이닷컴 한국일보 (韓国アイドットコム 韓国日報) . インターネット韓国日報 (2001年2月1日). 2009年10月27日 閲覧。
^ “[집중기획 SM제국 그베일을 벗긴다] 첫 기획형 스타 'HOT' 10대우상 각인 ” (朝鮮語). 헤럴드경제 (ヘラルド経済) . ヘラルドメディア (2005年6月14日). 2009年10月27日 閲覧。
^ a b c d カン・ミョンソク (2006-05-30). “[커버스토리|‘문화권력’ 아이돌 스타] 10대를 위한 10대에 의한 H.O.T 10년 ” (朝鮮語). 주간동아 (週間東亜) (韓国ソウル: 東亜日報社) (537): pp. 36-38. ISSN 1228-7148 . http://weekly.donga.com/docs/magazine/weekly/2006/05/24/200605240500021/200605240500021_1.html 2009年10月27日 閲覧。 .
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^ Sechs Kies と共同受賞
参考文献
金成玟「日韓ポピュラー音楽史:歌謡曲からK-POPの時代まで」慶應義塾大学出版会 2024年
現在の所属
過去の所属
関連項目
カテゴリ
受賞歴
歴代大賞受賞者 ()内の数字は第○回の意、『』内は曲名、アルバム部門の『』内のみアルバム名 1980年代
1986(1)チョー・ヨンピル 『虚空』
1987(2)イ・ムンセ『愛が過ぎ去れば』
1988(3)チュ・ヒョンミ 『新沙洞のあの人』
1989(4)ピョン・ジンソプ『あまりに遅れたでしょう』
1990年代
1990(5)ピョン・ジンソプ『君に再び』
1991(6)キム・ヒョンシク『私の愛私のそばに』
1992(7)シン・スンフン 『見えない愛』
1993(8)シン・スンフン『君を愛するから』
1994(9)キム・ゴンモ 『言い訳』
1995(10)キム・ゴンモ『誤った出会い』
1996(11)キム・ゴンモ『スピード』
1997(12)H.O.T. 『幸福』
1998(13)キム・ジョンファン『愛のために』
1999(14)チョ・ソンモ 『悲しい霊魂式』
2000年代
2000(15)チョ・ソンモ『ご存知ですか』
2001(16)god 『道』
2002(17)COOL『真実』
2003(18)チョ・ソンモ『ピアノ』
2004(19)イ・スヨン 『フィルリルリ』
2005(20)SG Wannabe 『罪と罰』
2006(21)東方神起 『“O”-正・反・合 』
2007(22)SG Wannabe『アリラン』
2008(23)東方神起『呪文 - MIROTIC』
アルバム部門 デジタル音源部門
2006(21)SG Wannabe『私の人: Partner For Life』
2007(22)IVY『こんなことなら』
2008(23)JEWELRY 『One More Time』
2009(24)少女時代 『Gee 』
2010年代
2020年代
21回デジタル音源部門新設、アルバム部門大賞は24回から、授賞式開催時期は25回まで年末、26回以降は翌年年始
歴代大賞受賞者 (括弧内の数字は第○回の意) 1990年代 2000年代 2010年代
2010(20)少女時代
2011(21)SUPER JUNIOR
2012(22)PSY
2013(23)EXO
2014(24)EXO
2015(25)EXO
2016(26)EXO
2017(27)防弾少年団
2018(28)防弾少年団
2019(29)防弾少年団、テヨン
2020年代
授賞式開催時期は2006年度第16回まで年末、2007年度第17回以降は翌年の年始