龍田(たつだ)は熊本県熊本市北区の地名。龍田一丁目から龍田九丁目までが設置されている。竜田、立田ともいう。2012年8月1日現在の人口は12,508人[1]。郵便番号861-8006。
地理
龍田は熊本市の北東部に位置する住宅地。西に立田山、東に白川があり、自然も豊かである。北で楡木・楠、北東で龍田弓削、東で白川越しに上南部、南東で同じく白川越しに下南部、南で龍田陳内、南西で僅かに黒髪・室園町、西で乗越ヶ丘、北西で兎谷・清水岩倉と接している。
※室園町とは、道路上の一点で接している。
※※清水岩倉とは、道路上の一点で接している。
歴史
地名の由来
近くにある立田山(龍田山)にちなんでいると伝えられる。[2]
なお、正しくは「天田」だったという説もある。
沿革
- 縄文後期の遺跡が白川河岸に見つかっているため、原始的な農耕が行われていたと考えられている。
- 弥生・古墳の遺跡も多く見つかっていることから、飽田郡の郷の一つである立田郷があったと考えられている。
- 961年(応和3年)、国司紀師信によって代継宮が奉祀される。[3]
- 源俊国国司時代の1156年(保元元年)に弓削神社創建と伝わる。
- 1332年(元弘2年)、立田阿蘇三宮神社が宇治惟直によって牧鶴に創建。
- 恵良惟澄が立田を焼き払う。
- 15世紀後期から1560年頃まで菊池氏一族の立田氏により支配。立田小太郎重治により、白川小金淵に立田城が築城される。また、1555年頃には、立田山中に宝積寺(寳積寺)、陳内阿蘇神社が建立された。加藤氏統治時代には、鹿子木一族が支配したとされ、1588年(天正16年)には、清正によって豊後街道が拓かれ、肥後藩の参勤交代における要所となる。
- 1645年(正保2年)、現在の武蔵塚公園のあるあたりに、宮本武蔵が葬られたとされる。
- 細川氏統治時代には、東福寺、片彦瀬菅原神社など多くの仏社が建立され、1661年(寛文元年)に立田阿蘇三宮神社は現在地に移設された。[4]
- 神風連の乱、西南戦争では戦火に見舞われることとなった。
- 1873年現在の龍田小学校のもとになる、下鶴学舎、芭蕉学舎、上ノ林学者、宝積寺学舎、陳内学舎が開かれる。
- 1886年(明治19年)下鶴学舎、芭蕉学舎、上ノ林学者、宝積寺学舎、陳内学舎を一つに合わせて、「上立尋常小学校」が設立。
- 1889年4月1日に町村制が施行され、弓削村、上立田村、陳内村が龍田村に。飽託郡に含まれた。
- 1912年(明治45年)弓削神社焼失、翌1913年(大正2年)に再興。
- 1914年(大正3年) 豊肥本線が通る。
交通
鉄道
バス
道路
- 国道
- 県道
施設
- 公共
- 龍田御野立所
- 熊本国際民藝館
- 芭蕉公民館
- 一丁公民館
- 龍田三町内公民館
- 堂の前団地
- 武蔵塚公園
- 教育
- 郵便局
脚注
出典
- 龍田村熊本市編入合併50周年記念事業実行委員会『龍田村熊本市編入合併50周年記念誌』2008年。
- 大平五雄『龍田‐むかしと今‐』1992年。
関連項目
外部リンク
- 龍田合衆国-武蔵校区2町内町内会長によって運営。
- 代継宮龍田三丁目に鎮座する神宮。