経種廉彦
経種 廉彦(いだね やすひこ、1962年(昭和37年)5月9日[1] - 2014年(平成26年)7月17日[2])は、日本の声楽家(テノール)、オペラ歌手、音楽教育者。 人物・来歴島根県松江市出身[2]。島根県立松江北高等学校[1]卒業。高校時代は合唱部に所属し、合唱部の顧問でもあった勝部俊行(現:島根県合唱連盟理事長・NPO法人松江音楽協会理事[3])に声楽を師事し、その後、勝部の紹介で森山俊雄(? - 2013年[4])に師事する。森山の門下からは、栗山文昭(合唱指揮者)、福島明也(バリトン)、錦織健(テノール)、田中誠(テノール)、妻屋秀和(バス)ほか、錚々たる音楽家が輩出されている[5]。 東京芸術大学音楽学部声楽科卒業。1988年(昭和63年)同大学大学院修了[1][6]。文化庁オペラ研修所第7期修了[7]。須賀靖和、原田茂生、黒田清、U.ガルディーニに師事。1991年(平成3年)より文化庁芸術家在外研修員としてイタリア、ミラノに留学。C.メリチャーニのもとで研鑽を積む[6]。 多数のプロダクションのオペラに出演し、古典から現代まで幅広いレパートリーにおいて第一線のテノール歌手として活躍。新国立劇場におけるこどものためのオペラ劇場『ジークフリートの冒険』主役ジークフリート役では、スーパーヒーローとして日本のオペラ普及に大きく貢献した。他にも数々の主演を務めるなど、日本のオペラには欠かせない存在として、歴代芸術監督、キャスト、スタッフからの絶大の信頼を集めていた[8]。演出を務めた作品もある。コンサートソリストとしても数多くの舞台を踏んでおり、著名な指揮者やオーケストラと共演している。リサイタルにも積極的で、ソロリサイタル、オペラガラコンサートなどに出演した。また、地元である山陰地方の文化振興にも尽くした。 音楽教育者としても、国立音楽大学准教授[9]、東京音楽大学講師[10]として後進の指導に力を注いだ。 アマチュアに対しても関わりがあり、緑会合唱団(東京大学・お茶の水女子大学・日本女子大学を中心とした合唱サークル)のヴォイストレーナー[11]を務めていた。 2001年(平成13年)山陰中央新報の『羅針盤』に1年間コラムを執筆[10]。二期会会員。 ジークフリートの死2014年(平成26年)7月17日、すい臓がんのため東京都小平市の自宅で[12]死去[13][14]。52歳没。これから円熟期を迎え、更なる活躍が嘱望される一人であり、2014年度(平成26年度)高校生のためのオペラ鑑賞教室・関西公演『夕鶴』(尼崎・あましんアルカイックホール)与ひょう、及び『さまよえるオランダ人』(演奏会形式)エリックにも出演の予定であった[8]。新国立劇場からも「私どももたいへん悲しく、残念でなりません」とメッセージが寄せられている[8]。日本オペラ界にとって大きな喪失であり、きわめて惜しまれる早逝であった。 経種逝去後の2015年(平成27年)5月6日、松江市総合文化センター プラバホールにて「経種廉彦追悼コンサート」が開催された。同年7月12日[15]および24日にも松江市法吉公民館で経種を偲ぶコンサートが開催されている[16]。また、同年12月、その死を悼み「松江プラバ音楽コンクール」に「経種廉彦賞」が創設された[17][18]。 家族・親族出演歴(演出を含む)※特に引用のないものは昭和音楽大学オペラ情報センターの記録[20]による。他は現認できたもののみを記した。なお、1999年(平成11年)の島根県PR誌『シマネスクNo.32』における経種の寄稿の中で「僕は松江で毎年のように演奏の機会を与えていただき帰郷する機会にめぐまれている」と記され[21]、過去に松江市法吉公民館コンサートがあった記載もある[15]ため、他にも松江での演奏歴があると思われる。また、下記の他に、 プッチーニ『グロリア・ミサ』[6]の出演経験があるという。
門下生経種の門下生による「iの会」が組織されており、2010年3月3日には「第4回 経種廉彦クラス声楽発表会」が開催されている[92]。門下生には、川西悠紀[15]、内田千陽[93]、細野真央[94]、岩水美稚子[95]、金山京介[96]、永井秀和[97]、出沼哲[98]、加地笑子[99]、六角実華[100]、岡田美優[101]、和田美樹子[102]、吉田安希[103]、平島ゆりか[104]、岩崎恭男[105]、鈴木えりか[106]、町村彰[107]、小山田萌[108]などがいる。 エピソード
主な受賞歴
主な楽界・社会活動
主なディスコグラフィー
主な放送出演歴
脚注注釈・出典
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