源氏山祐蔵源氏山 祐蔵(げんじやま ゆうぞう、1914年1月18日 - 没年不明[1])は、鹿児島県姶良郡隼人町(現在の霧島市)出身で井筒部屋(入門時は浅香山部屋)に所属した大相撲力士。本名は松山 祐三(旧姓:仮屋)。身長185cm、体重105kg。最高位は西前頭15枚目(1938年5月場所)。 来歴同郷の横綱西ノ海嘉治郎の経営する浅香山部屋に入門、1929年5月場所に初土俵を踏んだ。体格もよく、最初から師匠の若いころの名乗りの源氏山を名乗った。しかし、幕下にいた1933年7月、師匠が亡くなったので、本家の井筒部屋に移籍した。1935年1月場所に新十両を果たした。入門が若かったので、まだ20歳であった。 十両が長く、1938年5月に入幕を果たしたが、1勝12敗と大負けしてすぐに陥落、結局この場所の西前頭15枚目が最高位となった。その後、1940年1月場所に再入幕したが、ここでも5勝10敗と負け越して十両に陥落、1941年1月、全休して引退した。 引退後は年寄浅香山を襲名したが、1942年5月場所限りで廃業した。その後は一時期満洲に渡っていた。 主な成績
幕内対戦成績
※カッコ内は勝数、負数の中に占める不戦勝の数。
四股名変遷
関連項目注
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