大髙 重治(おおたか しげじ、1908年12月19日 - 2002年12月31日[1])は、日本のグラフィックデザイナー。写真家の大髙明は長男[2]。
来歴
1908年、深川の薪炭問屋の次男として誕生。尋常小学校卒業後、叔父が経営する千代田区神田の「三陽堂図案房」に丁稚奉公に入って製版や版下製作を学んだ[3]。
奥山儀八郎(木版画家)らと共に、ニッカウヰスキーのデザインを一貫して手がけた。1930年代後半、勤務していた印刷会社に大日本果汁(ニッカの前身)から飲料のラベル図案制作の受注があったのが、縁の始まり。1940年に発売されたニッカウヰスキー第1号のポスターも、大髙が担当することに至った[3][4]。ヒゲの「キング・オブ・ブレンダーズ」(1965年)[3][5]を始め、作品のデザインとレタリング(文字書き)は、すべて手書きだったといわれる[6]。1961年にニッカの竹鶴政孝会長の妻・リタが亡くなった際には、会長から直接依頼を受けて碑文(墓碑の英文字)を手書きした[3]。烏口、雲形定規、筆、コンパス、泥絵の具などを用いた技法で、生涯、助手も弟子も持たなかったという[3]。
1952年、国分寺市にアトリエと住居を構えた[7]。
67歳で[3]クリスチャンになり、いのちのことば社信仰書の装丁も手がけた[8][9]。
作品
ニッカ以外では、以下のようなものがある。
脚注
外部リンク