一已村
一已村(いちやんむら)は、日本の北海道雨竜郡にかつて存在した村である。1963年(昭和38年)5月1日に周辺の深川町・納内村・音江村と合体(新設合併)したうえで、深川市を発足させた。 町域は、現在の深川市の西側に位置する。面積は60平方キロメートル。人口は1962年(昭和37年)時点で8,315人であった。 地名地名「一已」(ラテン文字表記:Ichiyan)は、アイヌ語で「鮭の産卵場(鮭・鱒類の産卵穴)」を意味する ican (イチャン)に由来し[1][2]、それは石狩川の産卵床に起源を求めることができる。石狩川の上流域にあるこの地にも、秋になると鮭が遡上してくるが、産卵するときに尾鰭で川底の小石を払い除けて窪みを作り、そこに雌が卵を産み、雄が精子を掛けるのであるが、その窪みを「産卵床」といい、アイヌのいう「鮭の産卵場」と同義である。アイヌにとって鮭が極めて重要な食物であったことを考えれば、ichiyan と名付けられた土地の重要性も分かる。 明治の開拓時代、村は意気盛んな屯田兵を中心として営まれており[1]、村名を決めるにあたっては、アイヌ語地名にちなみながら、日本語で一致団結を謳うにふさわしい「一(いち)にして已(や)む」という意味になる当て字で漢字名「一已」を考案したということである[1]。 なお、北海道根室振興局管内標津郡標津町にある大字「伊茶仁(いちゃに)」は、かつて「伊茶仁村」という村であったが、この「伊茶仁」も、同じく「鮭の産卵穴」を語源とする地名である[1]。 歴史
地区[北新地区]
[入志別地区]
[一已地区]
郵便事業
交通
地域にゆかりのある著名人出身著名人
ゆかりのある人物
脚注注釈
出典関連項目 |