フリードリヒ・アウグスト1世 (オルデンブルク公)
フリードリヒ・アウグスト1世(Friedrich August I., 1711年9月20日 - 1785年7月6日)は、初代オルデンブルク公(在位:1774年 - 1785年)、およびリューベック領主司教(在位:1750年 - 1785年)。デンマークの王家オルデンブルク家の分家であったホルシュタイン=ゴットルプ家の出身で、デンマーク名はフレゼリク・アウグスト(Frederik August af Holsten-Gottorp)。 生涯父クリスティアン・アウグストはホルシュタイン=ゴットルプ公カール・フリードリヒ(フリードリヒ・アウグストの従兄)の摂政であり、母アルベルティーナ・フリーデリケはバーデン=ドゥルラハ辺境伯フリードリヒ7世マグヌスの娘であった。長兄カール・アウグストは父の死後リューベック司教侯位を継いだが1727年に急死、後を継いだ次兄アドルフ・フリードリヒは1750年にリューベック司教侯位をフリードリヒ・アウグストに譲り[1]、翌1751年にスウェーデン王アドルフ・フレドリクとして即位した。 ホルシュタイン=ゴットルプ家の本家では、1739年にカール・フリードリヒの息子カール・ペーター・ウルリヒが公位を継承していたが、1762年にロシア皇帝ピョートル3世として即位した。ピョートルの皇后エカチェリーナはフリードリヒ・アウグストの姪(妹ヨハンナ・エリーザベトの娘)であったが、同年のクーデターで夫ピョートル3世を廃位し、代わって自らが帝位に就いた。ピョートルは廃位後に間もなく暗殺されたが、ホルシュタイン=ゴットルプ公位はピョートルから息子パーヴェル1世(ドイツ名パウル)に継承された。 1773年、当時皇太子だったパーヴェルは、ホルシュタイン=ゴットルプ公領に関する全ての権利をデンマーク・ノルウェー王クリスチャン7世に譲り、引き換えに北ドイツのオルデンブルク伯領を獲得した[1]。同年、パーヴェルは父方の大伯父であるフリードリヒ・アウグストに伯領を譲り、翌1774年にフリードリヒ・アウグストはパーヴェルによってオルデンブルク公(ホルシュタイン=オルデンブルク公)とされた[1]。 フリードリヒ・アウグストは1785年にオルデンブルクで死去した。オルデンブルク公位は息子ヴィルヘルムが継承した。また、甥で弟ゲオルク・ルートヴィヒの息子ペーター・フリードリヒ・ルートヴィヒがリューベック司教侯位を継承するとともにヴィルヘルムの摂政となり、ヴィルヘルムの死後にオルデンブルク大公ペーター1世となった[1]。 子女1752年にヘッセン=カッセル方伯カールの三男マクシミリアン(スウェーデン王フレドリク1世及び方伯ヴィルヘルム8世の弟)の娘ウルリケ・フリーデリケ・ヴィルヘルミーネと結婚し、1男2女をもうけた。
脚註
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