フォー・ミー・アンド・マイ・ギャル (映画)
『フォー・ミー・アンド・マイ・ギャル』(For Me and My Gal) は、1942年のアメリカ合衆国のミュージカル映画。 バスビー・バークレーが監督を務め、ジュディ・ガーランド、ジーン・ケリー、ジョージ・マーフィが主演し、マルタ・エゲルト、ベン・ブルーが助演した。ケリーにとって本作がデビュー作となった。 第一次世界大戦中、ヴォードヴィル俳優のハリー・パルマーが自身とジョー・ヘイデンについて執筆した草稿を基に、リチャード・シャーマン、フレッド・F・フィンクルホフ、シド・シルバースが脚本を執筆した。メトロ・ゴールドウィン・メイヤーのアーサー・フリードのチームがプロデュースした。 ストーリーヴォードヴィル全盛期、アメリカは第一次世界大戦に参戦間近となる。ヴォードヴィリアンのジョー・ヘイデン(ジュディ・ガーランド)およびハリー・パーマー(ジーン・ケリー)はブロードウェイにあるパレス・シアターでの公演、そして終演後の結婚を約束する。 公演数週間前、ハリーは召集令状を受け取る。出征を遅らせるため、ハリーは故意に手を怪我する。同日、ジョーは医学生の兄弟が戦死したことを知る。 ハリーが意図的に怪我をしたことを知ったジョーはハリーを拒絶し公演を降板する。ハリーは上演を諦めて入隊しようとするが、手が不自由となったため入隊することができない。ハリーはYMCAに参加し、前線隊への慰問に出掛ける。 ハリーと仲間は危険地帯に入り、救護隊が砲撃されるのを未然に防ぐ。ハリーは敵の潜伏部隊の砲台の機関銃を破壊している最中に負傷し、その勇気を称えられる。 戦後、パレス・シアターで祝勝会が行なわれる。ジョーが「ジョニーが凱旋するとき」を歌っていると、観客の中にハリーがいることに気付く。ジョーはハリーのもとに駆け寄り再会し、過去に2人が初めて共演した「フォー・ミー・アンド・マイ・ギャル (曲)」を共に歌う。 キャスト
楽曲バスビー・バークレーの監督作品であるが、本作ではバークレーの特色である大規模なミュージカル・シーンがない。ボビー・コノリー振付によるヴォードヴィル・シーンが多い[2]。
制作ミッキー・ルーニーと共に子役として活動してきたジュディ・ガーランドは19歳になり、本作で初めて成人女性を演じた[4]。オリジナルの脚本ではハリー・パーマーの役は、ガーランド演じる歌手と、ドラマチックな役柄のダンサーと、女性2人と関わるはずであった。当時MGMのアドバイザーでガーランドの演技指導者であったステラ・アドラーはプロデューサーのアーサー・フリードに、2つの役を合わせてガーランドに演じさせることを提案した。またアドラーはジーン・ケリーが主演することも提案した[5]。 当時29歳であったケリーはブロードウェイ・ミュージカルの『Pal Joey』で主演し、『Best Foot Forward』を振り付けるなど舞台で活躍していた[6]。プロデューサーのデヴィッド・O・セルズニックはケリーと映画1本出演の契約をし、撮影終了後にケリーはブロードウェイに戻る予定であった。しかしセルズニックはケリーを配役しないまま1年が過ぎた。アーサー・フリードが本作『フォー・ミー・アンド・マイ・ギャル』にケリーを出演させてよいか尋ね、セルズニックは契約を譲渡した。MGMのフリードの上司から反対されたが、ケリーは役を得た[5][7]。当初ジョージ・マーフィがハリー・パーマー役を演じる予定であったが、ケリーが出演するにあたり、ケリーがハリー・パーマー役、マーフィがジミー・メトカフを演じることとなった。 ジーン・ケリーとジュディ・ガーランドはうまくいっていた。ガーランドはケリーがハリー役となったことを好ましく思っており、ケリーの舞台演技を映画での演技に合わせようとするのを手伝っていた。さらにガーランドは監督バスビー・バークレーと不仲であり、ケリーを自分の側に引き入れた。ケリーとガーランドは他に『踊る海賊』(1948年)、『サマー・ストック (映画)』(1950年)で共に主演した[8]。 またドイツで30本以上の映画に出演していたハンガリーの歌手マルタ・エゲルトのアメリカ映画デビューとなった。しかしエゲルトはアメリカでは2本しか出演することはなかった[9]。 1942年4月3日から5月23日、カリフォルニア州カルヴァー・シティにあるMGMのスタジオで制作され、6月に追加シーンが撮影された。予算は$803,000と見積もられている。制作中のタイトルは『Me and My Gal』および『The Big Time』が使用されていた。 プレビュー上映の際、観客はエンディングに満足しなかった。観客はジョー(ガーランド)がハリー(ケリー)ではなくジミー(マーフィ)と結ばれることを望んでいた。ルイス・B・メイヤーは3週間で、ケリーの役柄をより誠実に、マーフィの出番を少なく制作し直すよう命じた[5]。 公開1942年10月21日、ニューヨークでプレミア上映され、11月26日、ロサンゼルスで公開された。アメリカおよびカナダで$2,894,000、その他で$1,477,000の計$4,371,000の興行収入があり、この年最もヒットした作品の1つとなり[5][10]、MGMは$2,098,000の利益を上げた[1]。 1988年8月、アメリカ国内でMGM/UAホームビデオよりVHSがリリースされ、2004年4月6日、ワーナー・ホームビデオよりDVDがリリースされた。 受賞歴ロジャー・イーデンス(編曲)、ジョージー・ストール(音楽監督)がアカデミー作曲賞にノミネートされた[11]。ジーン・ケリーはナショナル・ボード・オブ・レビューから男優賞を受賞した[11][12]。 アメリカン・フィルム・インスティチュートより、2004年に「For Me and My Gal」がアメリカ映画主題歌ベスト100にノミネートされ[13]、2006年にミュージカル映画ベストにノミネートされた[14]。 脚注出典
外部リンク
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